スペインの世界遺産「アルハンブラ宮殿」とは?歴史と内部を含めて世界遺産マニアが解説

登録区分文化遺産
登録基準(1), (3), (4)
登録年1984年

アルハンブラ宮殿は「グラナダのアルハンブラ、ヘネラリーフェ、アルバイシン」の構成資産の一つ。イベリア半島にイスラム王朝が存在していた時代に築かれた宮殿で、当時のイスラム様式の装飾が多く見られるのが特徴。ところで、アルハンブラ宮殿はなぜ世界遺産なのでしょうか?

ここではアルハンブラ宮殿がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、アルハンブラ宮殿について詳しくなること間違いなし!

目次

アルハンブラ宮殿とは?その歴史は?

アルハンブラ宮殿
画像素材:shutterstock

グラナダはスペイン南部のアンダルシア州グラナダ県の県都で、かつてはナスル朝(1238〜1492年)の首都であった場所。アルハンブラ宮殿は、グラナダの南東に位置する丘の上に建造された城塞兼宮殿で、名前は「赤い城壁(アル=カルア・アル=ハムラー)」がスペイン語に転訛したもの。

もともとはイスラム勢力が築いた後ウマイヤ朝時代、9世紀末に城塞として建造されたもので、13世紀にナスル朝の創始者ムハンマド1世によって宮殿が建造されました。現在の姿になるのは、ナスル朝の黄金時代を築いたユースフ1世とその息子のムハンマド5世の時代で、歴代の王によって改築されていったもの。1492年のレコンキスタによる陥落後は、スペイン国王によって管理され、現在まで残されています。

内部はどんな構造?

アルハンブラ宮殿
画像素材:shutterstock

王が政務を行ったコマレス宮を中心に、王のプライベートな宮殿には、大理石円柱が並ぶ美しい中庭があります。宮殿はムカルナスと呼ばれる鍾乳石飾りの天井装飾や、アラベスク文様と呼ばれるアラビア文字や植物模様の文様など、イスラム教の世界観が大いに取り入れられているのが特徴。

特にライオンの中庭は、ムハンマド5世の時代に建造され、長さ28m、幅16mの庭に124本もの大理石円柱が並んでいます。東側の諸王の間には、10人ものアラブ人の貴族が描かれていて、これらはスルタンだったり、重臣だったり、解釈によってさまざま。

アルハンブラ宮殿はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

ライオンの中庭/アルハンブラ宮殿
画像素材:shutterstock

アルハンブラ宮殿が評価されたのが、以下の点。

登録基準(i)
イベリア半島のイスラムの技術の総決算であるアルハンブラ宮殿とヘネラリーフェ離宮は、現代であっても美的価値が高いという点。

登録基準(iii)
グラナダの建築物は、東西の芸術が混ざり合って形成されたという証拠であり、ここで生まれた文化や科学知識はヨーロッパに影響を与えてきたということ。

登録基準(iv)
アルハンブラ宮殿とヘネラリーフェ離宮は、中世のイスラム世界の宮殿をほぼそのまま残し、アルバイシンではイベリア半島におけるイスラム教徒が住んだ街の様子がほとんど変わらずに保存されているという点。

世界遺産マニアの結論と感想

アルハンブラ宮殿は、イスラム王朝時代の宮殿だけあって、イスラム様式の建築様式が見られ、その後スペインによって管理されたためにそれぞれの文化が見られるという点で評価されています。

ちなみに、アルハンブラというとスペインのギター奏者、フランシスコ・タレガ(1852〜1909年)の『アルハンブラの思い出』で有名ですね。とはいえ、彼自身はバレンシア州出身で、マドリードやバルセロナで暮らしましたが、別にグラナダで生まれ育ったわけではありません。たまたま旅行で訪れたグラナダで入ったエキゾチックな宮殿の印象だけで、これだけの名曲が作れるのだから、恐ろしい才能ですね。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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