京都府の世界遺産「銀閣寺(慈照寺)」とは?建てた人物と歴史を含めて世界遺産マニアが解説

登録区分文化遺産
登録基準(2),(4)
登録年1994年

銀閣寺は「古都京都の文化財」の構成資産の一つ。正しい名称は「慈照寺(じしょうじ)」ではありますが、美しい池泉回遊式庭園は世界的にも有名ですね。ところで、銀閣寺はなぜ世界遺産なのでしょうか?意外と知ってそうで知らない!

ここでは銀閣寺がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、銀閣寺(慈照寺)について詳しくなること間違いなし!

目次

銀閣寺(慈照寺)とは?その歴史をわかりやすく解説

場所はどこにあるの?その特徴は?

銀閣寺(慈照寺)
画像素材:shutterstock

左京区にある臨済宗相国寺派の寺院。もともとは浄土宗の浄土寺という寺があったものの、応仁の乱で焼失したためにここは空き地となりました。1482年から室町幕府の8代将軍・足利義政(1449〜1474年)は庶民から税を集め、東山に山荘を築き、1483年には書画や茶の湯を楽しむための隠棲生活を開始。1490年に義政が亡くなると、この地は禅寺となり、彼の院号である「慈照院殿(じしょういんどの)」から「慈照寺」と名付けられました。

その後は、貴族の屋敷になったことがあるものの、相国寺の末寺(本山の支配下にある寺)として、この地に残されました。江戸時代からは銀閣寺と呼ばれるようになり、当時から人気の高い観光スポットとして知名度があったもの。1994年にはユネスコ世界遺産にも登録されました。

銀閣寺を建てた足利義政とはどんな人物?

銀閣寺(慈照寺)
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足利義満は室町幕府の8代目征夷大将軍。彼の時代は幕府の権威が低下していて、有力守護大名が対立を深め、やがて応仁の乱(1467〜1477年)を引き起こしてしまい、戦国時代のきっかけを作ることとなってしまいました。応仁の乱が終わると、1482年に金閣寺を参考に東山山荘(東山殿)という住居を築き、1483年にここに移り住むと、彼は亡くなるまでこの地で政務を執っていました。彼は文化人としては非常に優れていて、絵師や庭師を雇い、銀閣寺を建造したことから、ここは武家、公家、禅僧のそれぞれの文化の合わさった「東山文化」の中心地に。

しかし、彼の時代に建造された建造物で残っているのは、銀閣(観音殿)と東求堂(とうぐどう)のみ。

銀閣寺の正式名称は?銀閣の名前の由来は?

銀閣寺(慈照寺)
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銀閣寺の正式名称は「東山慈照禅寺(とうざんじしょうぜんじ)」。彼の死後は、彼の院号である「慈照院殿」から「慈照寺」と呼ばれていました。よって、銀閣はずっと「慈照寺観音殿」と呼ばれていてましたが、鹿苑寺の金閣に対して、ここが銀閣と呼ばれるようになったのは、江戸時代以降。そのため観音殿が銀閣と呼ばれるようになってから、別名である銀閣寺のほうが知名度が高くなったのです。

銀閣(観音殿)にはなぜ銀箔が貼られていない?

銀閣寺(慈照寺)
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観音殿は義政によって鹿苑寺の舎利殿(金閣)などをモデルにして建造された、木造2階建ての楼閣建築として有名です。初層は「心空殿(しんくうでん)」と呼ばれ、住宅風の構造で書院造。上層は「潮音閣(ちょうおんかく」と呼ばれ、観音菩薩坐像を安置した部屋となっています。これらは義政の宗教観を表現したとされるもの。

金閣は金箔が貼られた建造物であるにもかかわらず、銀閣には一度も銀箔が貼られたという形跡も記録も残っていません。その理由は今でも不明で、ここを「銀閣寺」と呼ぶようになったのは江戸時代以降であることから、もともと銀箔を貼る計画がなかったという説もあるほど。

銀閣寺の鳳凰像

金閣寺同様に、屋根の上には銅製鳳凰を置かれています。これは銀閣に祀られている観音菩薩像を守るためとされていますが、建設当時からあったものではなく、資料によれば18世紀後半くらいまでは宝珠が置かれていたとされるもの。

向月台で有名な庭園

向月台/銀閣寺(慈照寺)
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庭園は夢窓疎石(1275〜1351年)による西芳寺の庭園を模して作られたとされているものの、江戸時代には改修されているため、当時の構造はあまり残っていません。ここは錦鏡池(きんきょうち)を中心とした池泉回遊式庭園で、白い砂を段形に盛り上げた「銀沙灘(ぎんしゃだん)」、東山に登る月を待つために砂を円錐状に盛ったとされる「向月台(こうげつだい)」などが見られます。

とはいえ、向月台は毎日手入れをされていて、実際は江戸時代から造られたものであるという説もあり、はっきりとしたことは分かっていません。

東求堂は日本の建築様式のルーツになった?

東求堂/銀閣寺(慈照寺)
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境内にある東求堂(とうぐうどう)は、1486年に義政の持仏堂(日常的に礼拝する仏像があるお堂)として建造され、東西南北の各面とも6.9mの入母屋造。ここはお堂ではあるものの、棚と書院(書斎を兼ねた居間)が設けられていて、その後の日本の住宅の様式となった書院造(しょいんづくり)のルーツとなったものの一つ。

銀閣寺(慈照寺)はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

銀閣寺(慈照寺)
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銀閣寺が評価されたのが、以下の点。

登録基準(ii)
京都は8〜17世紀にかけて、宗教と世俗的な建築様式や庭園設計が発展した場所であり、日本伝統文化の形成に貢献してきました。そして、庭園設計は19世紀以降、世界中に大きな影響を与えたという点。

登録基準(iv)
京都の文化財に見られる建築と庭園設計は、日本の前近代の文化における最高の表現であるということ。

世界遺産マニアの結論と感想

銀閣寺は通称ではありますが、ここは日本の庭園史における傑作でもあり、観音殿(銀閣)を含めて日本を代表する景観が広がっているという点で評価されています。

ちなみに、銀箔は貼られていないものの、銀閣は一応室町時代から残るために国宝に指定されていますが、金閣のほうは戦後に再建されたために、京都においては龍安寺とともに国宝のない構成資産でもあります。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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