長崎県の世界遺産「三菱長崎造船所・第三船渠」とは?世界遺産マニアが解説

登録区分文化遺産
登録基準(2), (4)
登録年2015年

三菱長崎造船所・第三船渠は「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産の一つ。長崎造船所は明治から利用されていて、第三船渠はアジアでも最大規模のドックでした。ところで、三菱長崎造船所・第三船渠はなぜ世界遺産なのでしょうか?意外と知ってそうで知らない!

ここでは三菱長崎造船所・第三船渠がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、三菱長崎造船所・第三船渠について詳しくなること間違いなし!

目次

三菱長崎造船所・第三船渠とは?

三菱長崎造船所・第三船渠
画像素材:写真AC

長崎県長崎市は現在でも三菱重工業の長崎造船所があり、主力の造船所があることから、明治からそのまま使用されている造船所の一部が世界遺産に登録。造船所は1857年に日本初の戦艦の修理工場として開業し、1887年になると三菱に払い下げてからはそのまま現役の造船所として稼働。

かつては3つのドックを保有していましたが、1905年に竣工した大型ドックで、全長222.2mと当時アジア最大規模だった「第三船渠」だけが現存。竣工当時の排水ポンプも残ってはいますが、ここは現在も稼働している造船所であるため見学はできません。

三菱長崎造船所・第三船渠はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

三菱長崎造船所・第三船渠

三菱長崎造船所・第三船渠が評価されたのが、以下の点。

登録基準(ii)
明治日本の産業革命遺産は、江戸時代から続く封建社会であった日本が19世紀半から西欧の技術によって20世紀初頭まで短期間で世界有数の工業国となり、そのノウハウや技術など、東アジアの工業化において影響を与えたという証拠である点。

登録基準(iv)
日本各地に残る鉄鋼、造船、石炭の産業拠点は、世界の歴史において、西欧諸国以外で初めて近代化に成功し、西欧技術の採用により、地元の技術革新と合わせて日本独自の工業化を反映した産業遺産であったということ。

世界遺産マニアの結論と感想

三菱長崎造船所の第三船渠は、明治から稼働し続ける大型ドックでアジアでも最大規模であったことから、東アジアにおける工業化に貢献したという点で評価されています。

ちなみに、戦艦大和は広島の呉で作られたことで有名ですが、長崎では大和型の戦艦「武蔵」が建造されたことでも知られます。大和型の戦艦は巨大なことで有名ですが、建設当時はすだれ状の目隠しが戦艦の周りを覆ったものの、その巨体さゆえに「何か大きなもの」を作っていることがバレバレだったとか…。でも、一応国家機密だったために住民は造船所を見つめているだけで体罰を受けたり、逮捕されたりと政府の監視も無茶苦茶だった様子。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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