奈良県の世界遺産「吉野水分神社」とは?世界遺産マニアが解説

登録区分文化遺産
登録基準(2), (3), (4), (6)
登録年2004年

吉野水分神社(よしのみくまりじんじゃ)は「紀伊山地の霊場と参詣道」の構成資産の一つ。ここは周囲の川の源流にあった神を祀る場所で、現在は吉野山にあります。ところで、なぜ吉野水分神社は世界遺産なのでしょうか?意外と知ってそうで知らない!

ここでは吉野水分神社がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、吉野水分神社について詳しくなること間違いなし!

目次

吉野水分神社とは?

吉野水分神社
画像素材:shutterstock

吉野山から大峰山へと続く道沿いにある神社で、創建年代は不明であるものの、7世紀に記録が残るため、古くから存在していたと考えられています。もともとは吉野山の最奥部にあったとされ、周囲の川の源流であることから「水分」は「水配り」という意味で、水の神として信仰されてきたもの。

現在の社殿は豊臣秀吉の息子である秀頼によって1604〜5年頃に再建されたもの。特に本殿は当時の桃山建築様式で築かれたため、花鳥・禽獣などが掘られた中備(なかぞなえ、柱の上に位置する組物と組物の間にある部材)などがあり、非常に華麗な造りとなっています。拝殿は入母屋造(いりもやづくり)となっていて、正面は格子状の蔀(しとみ)構えであるのが特徴。

吉野水分神社はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

吉野水分神社
画像素材:shutterstock

吉野水分神社が評価されたのが、以下の点。

登録基準(ii)
紀伊山地に残る霊場と参詣道は、神道と仏教が融合が見られ、東アジアにおける宗教文化の交流と発展を示すということ。

登録基準(iii)
紀伊山地に点在する神社や寺院は、この地の慣習を含めて、1000年以上に渡る日本独自の宗教の発展を示すものであるという点。

登録基準(iv)
紀伊山地は、日本各地の寺社の建築様式に大きな影響を与え、それらの形成のルーツともなっているという点。

登録基準(vi)
紀伊山地の霊場と森林には、1200年に渡って神の宿る地として信仰が維持され、それらが景観に見られるということ。

世界遺産マニアの結論と感想

吉野水分神社は、吉野の歴史と密接に関わっていて、古くから水の神の信仰や寺社の各時代の建築様式などが見られるという点で評価されています。

ちなみに、建物そのものは重要文化財ですが、内部には国宝もあって「木造玉依姫命(たまよりびめ)坐像」だけ国宝に指定されています。玉依姫命は神武天皇(初代天皇)の母であったとされますが、鎌倉時代の女性をモデルにした像とされていて、お歯黒が塗られているのが当時の文化をよく示すもの。当時は身分の高い人物しかお歯黒はされなかったので、モデルの人物もきっと身分が高かったのでしょう。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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