登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (2),(4) |
登録年 | 1981年 |
フランス南部に位置するアルルは、古代から中世までの遺跡が今でも多く見られる地方都市。街の歴史は紀元前2世紀にさかのぼり、ここはローマ皇帝コンスタンティヌス1世が愛した地であり、キリスト教世界において重要な都市になりました。中世にはサン=トロフィーム教会が築かれ、特に入口のタンパンにある『最後の晩餐』の彫刻で有名です。
ここではアルルあのローマ遺跡とロマネスク様式建造物群がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、アルルについて詳しくなること間違いなし!
アルルのローマ遺跡とロマネスク様式建造物群とは?
フランス南部のプロヴァンス地方のアルルは紀元前2世紀に共和制ローマによって支配されるようになると、ローヌ川の河口に位置することから、ローマの商業の拠点となりました。その後、さまざまな建物が築かれ、4世紀に東西に分裂していたローマを再統一したコンスタンティヌス1世の時代が最盛期。彼はキリスト教を国教にしただけあって、キリスト教関連の施設が多く建造されるように。
9世紀には当時のヨーロッパを支配していたフランク人によってアルル王国が築かれ、フランスからスペインまで続く「サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」の始点にもなっていて、巡礼者が集まる都市として繁栄しました。
登録されている主な構成資産
円形闘技場
旧市街の東部にあるアルルのシンボル的存在で、紀元前1世紀に建造されました。幅は最大で約136mで、最も短い部分は約107m。もともとは3階建ての建造物でしたが、現在は2階建となっていて、かつては2万人以上は収容できたとされています。中世は要塞として利用され、内部は教会や居住地となりましたが、保存状態は良好。現在では闘牛やイベントなども開催されています。
古代劇場
紀元前1世紀に建造された劇場。しかし、中世になると採掘場として利用され、要塞に改装されました。19世紀になると修復作業が始まり、現在は土台と2本の石柱が残るのみ。
コンスタンティヌスの公衆浴場
旧市街の北側に位置する公衆浴場跡。4世紀に当時のローマ皇帝・コンスタンティヌス1世がここを訪れた時に建造され、サウナ部屋や床暖房、宮殿の他、浴槽の温度の変化させる装置など、古代ローマの技術が多く見られます。19世紀に発見され、現在でも浴槽跡や半円のプールの遺構が見られます。
サン=トロフィーム教会
旧市街の中央部にあるロマネスク様式の教会で、11〜12世紀に建造。トロフィームとは、かつてこの地にキリスト教を伝えた聖人トロフィムスにちなむもの。扉にあるタンパンは有名な『最後の審判』をモチーフにして建造されました。内部には15世紀のゴシック様式の回廊も見られます。
アルルのローマ遺跡とロマネスク様式建造物群はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
アルルが評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
アルルは、古代から繁栄した交易都市であり、文化・文明が接触し、交流が行われたということを証明するという点。
登録基準(iv)
アルルは、円形闘技場や劇場、キリスト教の教会など、ローマの古代都市を中世のヨーロッパ都市へと適応させた都市であるということ。
世界遺産マニアの結論と感想
アルルは、古代ローマに起源を持つ都市で、今でもローマ時代の遺構や中世から残るキリスト教など、古代都市を中世の町並みに溶け込むように設計されていて、古代から人々の交流が見られるという点で評価されています。
アルルといえば、ゴッホの絵画のモデルとなった場所で、『夜のカフェ』、『アルルの女』、『アルルの跳ね橋』など、たくさんの絵画がこの地で描かれたのですが、有名な「耳の切り落とし事件」など、精神状態がどんどん悪化していき、最終的には入院するためこの街を離れることに…。アルルはゴッホにとって「日本みたいに美しい」と理想的な場所だっただけに、特に思い入れが強かった様子。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。