メキシコの世界遺産「古代都市チチェン・イッツァ」とは?その歴史と遺跡について世界遺産マニアが解説

登録区分文化遺産
登録基準(1), (2), (3)
登録年1988年

メキシコの東端・ユカタン半島北部にあるチチェン・イッツァは、マヤ文明の中でも中心都市でした。遺跡には、長期に渡って栄えた形跡が残り、天文台や階段状のピラミッドなど、マヤ・トルテカ文明の宇宙観が見られる建築物が残っています。

ここでは、古代都市チチェン・イッツァがなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、チチェン・イッツァについて詳しくなること間違いなし!

目次

古代都市チチェン・イッツァとは?その歴史と遺跡について解説

古代都市チチェン・イッツァ
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ユカタン半島の北部・ユカタン州の州都メリダから東へ約120km。チチェン・イッツァとは、チチェン(泉のほとり)、イッツァ(魔術師)の組み合わせで、「泉のほとりの魔術師」という意味。街はセノーテと呼ばれる地下泉の上に築かれているために、この名が付けられています。遺跡は北部の8〜10世紀に築かれたトルテカ期のもの、そして、南部には10〜13世紀に築かれたプウク期のものに2つに分けられているのが特徴。

街を築いたイッツァ人は7世紀頃に姿を消します。しかし、10世紀に、メキシコ高原で栄えたトルテカ文明の影響を受けたイッツァ人が再びここで都市を建造。この時期に築かれたのが「カラコル」という天文台。10世紀以前の建築物が多く残る南側のエリアは「旧チチェン」と呼んでいます。

カスティーヨ/古代都市チチェン・イッツァ
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以降マヤ文明とトルテカ文明が融合していきます。10世紀以降には、遺跡の南エリアの開発が増え、この時期の建築物群を「新チチェン」と呼ばれます。ここからマヤ文明後期に流行したプウク式の建造物が増加。階段状のピラミッドであるカスティーヨが築かれたのもこの時期で、これは優れた天文知識の上で建造されたもの。

13世紀以降は建造物は築かれず、政治の中心も西のマヤパンへと移転。15世紀になると都市は急速に衰退し、19世紀末までジャングルに埋まっていました。現在は整備され、メキシコでも有数の遺跡として知られます。

登録されている主な構成資産

カスティーヨ

カスティーヨ/古代都市チチェン・イッツァ
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遺跡の北側にある高さ24mの階段状のピラミッド。8〜12世紀に建造されたもので、内部にはマヤ・トルテカ時代のピラミッドがあり、この上に現在のピラミッドを増築したと考えられています。

マヤの最高神ククルカン(ケツァルコアトルのマヤ語名)を祀っていて、西側の階段は春分・秋分の日になると、光が照らし出し、9段の階段がククルカンの胴体に見えるという構造。そして、階段は4面の91段を合計すると364段で、最上段の神殿の1段分を合わせると365段となり、一年を表現しているとされます。これらはマヤ文明の天文学の高さを示すもの。

ちなみに、カスティーヨは、スペイン人が名付けた「城塞」という意味。

戦士の神殿

戦士の神殿/古代都市チチェン・イッツァ
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カスティーヨの東にある神殿。ここには、戦士たちの浮き彫りが刻まれた柱が60本並んでいます。神殿の中央には、チャクモール像という太陽への生贄として心臓をのせるという儀礼用の建造物があり、実際に豊穣を願って儀式が行われていたと考えられています。

カラコル(天文台)

カラコル(天文台)/古代都市チチェン・イッツァ
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遺跡の中央部、旧チチェンに10世紀に建設された建造物。カラコルというのは「カタツムリ」という意味で、見た目がカタツムリにように見えたことからこのあだ名が付けられました。中心部にある螺旋階段のある建造物の最上階には、夏至と冬至に太陽が差し込むということから、天文台として使用していたと考えられています。

球技場跡

球技場跡/古代都市チチェン・イッツァ
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他の遺跡よりも面積が広く、ゴムのボールを使い、2つのチームに分かれて試合が行われていたと考えられています。勝敗によってどちらかのチームの選手たちが生贄に捧げられたとされていますが、これは勝者だったのか、敗者だったのか、今でもはっきりしていません。

セノーテ(聖なる泉)

セノーテ/古代都市チチェン・イッツァ

天然の地下泉で、チチェン・イッツァの人々は、生活用水として使用していました。ここは宗教儀礼としても利用されていて、財宝や人間などがここに入れられたと考えられており、実際に泉からは財宝や人骨なども発見されています。遺跡内にはいくつかセノーテが点在。

古代都市チチェン・イッツァはどんな理由で世界遺産に登録されているの?

古代都市チチェン・イッツァ
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チチェン・イッツァが評価されたのが、以下の点。

登録基準(i)
カスティーヨや戦士の神殿などの建設物は、メソアメリカ建築の傑作であるという点。

登録基準(ii)
チチェン・イッツァの建築物は、10〜15世紀にかけてユカタン半島の他の都市に大きな影響を与えたということ。

登録基準(iii)
チチェン・イッツァは、マヤ文明後期のマヤ・トルテカ文明の中でも最も繁栄したことを示す遺跡であるという点。

世界遺産マニアの結論と感想

チチェン・イッツァは、9世紀に滅びたマヤ文明の都市とは異なり、後期のマヤ文明の中心都市として栄えました。そして、階段ピラミッドなど、この建築様式はユカタン半島の他の都市に影響を与えているというのも評価のポイント。

ちなみに、チチェン・イッツァのチャクモール像には、なぜか中国産の翡翠(ひすい)が使用されており、大いなる謎として有名。彼らが中国人とどのような交流があったか…今後の研究を待ちましょう。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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