登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (2), (4) |
登録年 | 2005年 |
ル・アーブルは、フランス北西部に位置する港湾都市。ここは第二次世界大戦時に破壊されますが、新古典主義の建築家オーギュスト・ペレによって1945〜1964年にかけて再建されました。ル・アーブルは、歴史的建造物や町並みを残しつつ、幾何学的な都市の構造やプレハブ、コンクリートを使って再建していったという革新的な都市計画が見られ、世界各地の都市復興計画に影響を与えました。
ここではオーギュスト・ペレによって再建された都市ル・アーヴルがなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ル・アーヴル について詳しくなること間違いなし!
オーギュスト・ペレによって再建された都市ル・アーヴルとは?
ル・アーブルは、セーヌ=マリティーム県の県庁所在地で、北フランスでも最大規模の港湾都市でもあります。ここは第二次世界大戦時にイギリス軍の補給基地であったため、ドイツ軍に占領され、1944年のノルマンディー上陸作戦の際に町は爆撃されてしまい、中心街は廃墟に。
戦争が終わると、ここは新古典主義の建築家オーギュスト・ペレが率いる建築家と都市計画家のチームによって1945〜1964年にかけて再建されました。都市計画は、焼失を免れた歴史的建造物や区画などをそのまま活かしつつ、幾何学的な都市の構造やプレハブ・コンクリート使って再建。
中心部は更地となってしまったために、碁盤の目状の計画され、直線状に街路が配置されました。特にフォシュ通りはヨーロッパでも最大の大通りとなり、その幅はパリのシャンゼリゼ通りよりも広いことでも知られます。フォシュ通りの東端にある高さ72mもの19階建ての塔を持つ市庁舎は、ペレとジャック・トゥルナンによる作品。西端にある「オケアノス門」は、14階建ての双子の塔が一体となり、このように呼ばれています。
ペレは再建だけでなく、市民が暮らすための住宅もデザインし、それらは古典様式で作られ、コンクリートを使用した革新的な設計でした。
オーギュスト・ペレによって再建された都市ル・アーヴルはどんな理由で世界遺産に登録されているの?
ル・アーヴルが評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
ル・アーブルの再建計画は伝統的な都市を統合するように設計されていて、建築や技術、都市計画などにおける先駆的な近代都市計画が行われた場所であり、象徴でもあるという点。
登録基準(iv)
ル・アーブルの街は、プレハブ建築や幾何学的な都市計画、そして、コンクリートを使用するという革新的な設計が見られ、第二次世界大戦後に行われた都市計画と建築の優れた例であるということ。
世界遺産マニアの結論と感想
ル・アーブルは、第二次世界大戦時に破壊されてしまったため、残された歴史地区を融合するように再建され、ここにはプレハブ建築や幾何学的な都市計画、コンクリートの活用など、世界で見られる都市復興計画に影響を与えるものであったという点で評価されています。
あまりイメージはありませんが、印象派を代表するクロード・モネはパリ生まれではあるものの、少年時代の大半をル・アーブルで過ごしたことでも有名。ちなみに、印象派の由来となった『印象・日の出』はル・アーブルの港の風景を描いたもの。しかし、当時の町並みはほとんどに残っていないんですけどね…。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。