世界遺産に登録されているトルコの遺跡はいくつある?それぞれを一覧にして世界遺産マニアが解説

トルコといえば、人類最古の遺跡とも称されるギョべクリ・テペがあるほどに歴史が古い土地で、はるか遠い時代の遺跡からギリシャ・ローマ、キリスト教、イスラム教の時代のものなど、多くの民族がこの地を往来したという証拠を残しています。

ところで、トルコで世界遺産として登録されている遺跡はいくつあるでしょうか?ここでは世界遺産に登録された遺跡を世界遺産マニアが一覧にして分かりやすく解説していきましょう。

目次

ギョベクリ・テペ

ギョベクリ・テペ
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ギョベクリ・テペは、アナトリア半島の南東部にある都市シャンルウルファの郊外に位置しています。ギョベクリ・テペとは「太鼓腹の丘」という意味で、標高約769mの丘の上に築かれたもの。

中央にあるT字型の柱には野生動物が刻まれており、ここは世界最古の宗教的儀式の場であったとされ、遺跡は約1万1500万年前のメソポタミア北部の人々の生活や信仰を知ることができるもの。

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チャタル・ヒュユクの新石器時代遺跡

チャタル・ヒュユクの新石器時代遺跡
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アナトリア半島内陸の南側にある都市コンヤから南東へ約40km。平原に位置する2つの丘がチャタル・ヒュユクの遺跡。ここは紀元前7500〜紀元前5200年まで人々が暮らした場所。

チャタル・ヒュユクは2つの丘(テル)で構成され、18層もの新石器時代の文化が見られ場所です。2つの丘では人類が集住生活から定住生活、農耕生活への変化が見られるという点で大変貴重なもの。

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アルスランテペの遺丘

アルスランテペの遺丘
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トルコ南東部に位置する都市マラテヤの郊外に残る遺跡。アルスランテペとは「ライオンの丘」という意味で、高さ30mの丘陵地帯に遺跡が広がっています。ここは50年以上にも及ぶ発掘から、紀元前6000年頃から利用されていたということが分かり、トルコで最も古い宗教都市であったとされるもの。

遺跡からは世界でも最も古いとされる剣なども発見されていて、アナトリア半島最古の集落とされています。

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ヒッタイトの首都ハットゥシャ

ヒッタイトの首都ハットゥシャ
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アナトリア半島の中央部にあるチョルム県のボアズカレ郊外の丘陵地帯にハットゥシャの遺跡があります。ヒッタイト帝国は紀元前17世紀〜紀元前13世紀にアナトリア半島を中心に栄えた国で、昔の教科書では製鉄技術を持っていた国とされてきましたが、今では鉄器を使った軽戦車(チャリオット)を導入したという点で評価されている国。

現在は遺跡となっていて、かつての王宮や神殿の他に、壮麗な門の装飾、帝国の繁栄を偲ばせるレリーフも残存。

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ゴルディオン

ゴルディオン
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ゴルディオンは、トルコの首都アンカラから南西へ約70kmの位置にある遺跡で、ここはヤスヒュック村の郊外にあり、青銅器時代初期(紀元前3000年ころ)から中世(12〜13世紀)にいたるまで長い期間利用されていたとされています。

ここはギリシャ神話や文献でしばしば登場したフリギア王国の首都だったとされる遺跡。紀元前12世紀からフリギア人がこの地に暮らしていたことが分かっていて、謎の多い彼らの足跡をたどることができます。ここはアレキサンドロス大王の「ゴルディオンの結び目」の伝説でも有名。

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トロイの考古遺跡

トロイの考古遺跡
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トルコ西北部・チャナッカレ県に位置するトロイの考古学遺跡は、ダーダネルス海峡から南へ約5kmの距離にあり、エーゲ海に広がる平原を見下ろすようにあるヒサルルクの丘に築かれたもの。

1870年からドイツの富豪であり、考古学者であったシュリーマンが発掘調査を行ったことによって、ここに伝説の都市トロイがあったということが判明しました。実際のトロイは、紀元前3000年から紀元500年頃にいたるまで何層にも渡って建造された都市で、現在は遺構として公開されています。

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クサントス・レトゥーン

クサントス・レトゥーン
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アナトリア半島南西部、アンタルヤ県とムーラ県の県境近くには、クサントスとレトゥーンという2つの遺跡があります。これらはこのエリアで繁栄したリュキア文明に属する遺跡で、謎が多いリュキアの文化を現在に残すもの。

遺跡では、リュキア人の伝統とギリシアの文化の融合が見られ、これらの都市では柱の上部に墓を置くという独特の埋葬習慣があったことでも有名です。

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ペルガモンとその重層的な文化的景観

ペルガモンとその重層的な文化的景観
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ペルガモンはアナトリア半島の西部にある都市ベルガマの郊外に位置します。ここは紀元前3世紀〜紀元前2世紀に繁栄したアッタロス朝の首都でした。

丘の上にあるアクロポリスは上市と呼ばれ、巨大な図書館に代表的される遺構が並ぶエリア。当時のペルガモンは劇場や教育機関を持つ文化都市でもありました。その後、信仰対象などが変わり続けても都市の宗教施設は改築されて利用され続けたという点で評価されています。

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ヒエラポリス-パムッカレ

ヒエラポリス-パムッカレ
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パムッカレは、トルコの南西部にあるデニズリ県の県都デニズリから北へ約15kmの位置にあるエリア。平原にある標高約200mの丘には、斜面から石灰を含んだ温泉水が流れており、これが堆積して段々状の棚を作り出しています。まるで綿が集まった城塞に見えることから、トルコ語で「綿の城(パムッカレ)」と呼ばれます。

ヒエラポリスは、パムッカレの丘の上に築かれた都市遺跡のこと。ここはローマ時代の紀元前2世紀に築かれ、温泉をテーマとした健康センターとして栄えた場所でした。

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ネムルト・ダウ(ネムルト山)

ネムルト・ダウ(ネムルト山)
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トルコ南東部にあるネムルト山は標高が2134mもあり、周囲の山々でも最高峰。この山の山頂には、紀元前1世紀に建造された、コンマゲネ王国のアンティオコス1世(紀元前69〜34年)の霊廟があります。

山頂は、高さ約50m(かつては75m)、直径約150mの円錐形の巨大な墳墓とされる丘となっていて、これは人工的に作られたもの。東西のテラスでは、ギリシャとペルシャの神々が並ぶという、コンマゲネ王国の文化が見れられます。

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アフロディシアス

アフロディシアス
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アフロディシアスは、トルコ南西部のメンデレス川によって形成された肥沃な渓谷に位置します。この地では紀元前3世紀からギリシャ神話の女神アフロディーナの信仰が始まり、神殿が築かれると、2世紀には都市が形成されました。

ここはローマ帝国と親密な関係があり、ローマの元老院から税の免除を受けるほど。神殿や劇場、広場などが残り、かつての繁栄が今でも見られるのが特徴。

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ヒッポドローム(コンスタンティノープル競馬場)/イスタンブール歴史地域

ヒッポドローム(コンスタンティノープル競馬場)/イスタンブール歴史地域
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地中海と黒海とを結ぶ場所にあるイスタンブールは、2000年近くも大国の首都として機能してきました。

ヒッポドロームは古代の競馬場を意味するもので、4世紀にコンスタンティヌス1世によって修復されたもの。ここには、4世紀にギリシャのデルフィから取り寄せた「蛇の柱」、エジプトのルクソールから取り寄せた「トトメス3世のオベリスク」、10世紀に建造した「コンスタンティノス7世のオベリスク」の3つの記念碑が設置されていることで有名。

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エフェソス(エフェス)

トルコの西部に位置するイズミル県セルチュク近郊のエフェソスは、紀元前7000年前から人々が住んでいた地。紀元前2世紀頃にアナトリア半島が共和制ローマの領土になると、ここはアジア属州の首府として栄えました。

エフェソスの古代都市

エフェソスの古代都市
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遺跡には、ヘレニズム建築やローマ建築などが点在していて、保存状態の良い図書館や劇場など、当時の繁栄した姿を現在に残します。

ケルスス図書館は、2世紀に建造された図書館で、アレクサンドリアとペルガモンに次ぐローマで3番目に大きな図書館として有名でした。ここには約1万2千冊の書物が保管されていたとされています。入口にある2階建ての壮麗なファサードはエフェソスのシンボルでもありますが、度重なる地震で10〜11世紀には崩壊し、現在見られるのは20世紀に修復されたもの。

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アルテミス神殿跡

アルテミス神殿跡
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月の女神であるアルテミスを祀った神殿。紀元前700年頃に建設されるも、紀元前550年に再建。神殿には美しい彫刻や金銀が施された柱など、豪華絢爛な建築物であったと伝えられ、世界の七不思議の一つに数えられるほど。

さらに紀元前323年には再度建て替えられると、3世紀にはケルマン系の民族であるゴート人によって破壊。その後、19世紀後半になるとイギリスの大英博物館の考古学探検隊によって神殿跡が発見されます。現在は廃墟となっていて、いくつかの残骸から柱を組み立ているものの、当時の姿を想像するのは難しいといった状態。

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ギョレメ国立公園およびカッパドキアの岩石遺跡群

カッパドキアとは、アナトリア高原の中央、ネヴシェヒル県の一帯を指します。ここは300万年前に近隣のエルジエス山(標高3916m)が大噴火したことにより、一帯が凝灰岩や玄武岩の層となって、風雨によって一部の凝灰岩が削られると、キノコ型の岩などの奇岩地帯が形成されました。それは「妖精の煙突」といった愛称で呼ばれるほどに、幻想的な風景が広がっています。

ギョレメ国立公園

ギョレメ国立公園
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ギョレメ渓谷には、キリスト教徒が多く隠れ住んだことから30もの教会が残っています。郊外には、9~10世紀に建造され、フレスコ画の面積が多いトカル・キリセ、入口近くにりんごの木があったとされるエルマル・キリセ(りんごの教会)、礼拝堂の暗さから由来するカランルク・キリセ(暗闇の教会)、フレスコ画の人物がサンダルをはいていることから名付けられたチャルクル・キリセ(サンダルの教会)など、色鮮やかな壁画が描かれた教会が点在。

カイマクルとデリンクユの地下都市

デリンクユの地下都市
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カイマクルはギョレメから南へ約25kmに位置する村。地下8階まで掘り進めた地下都市が残っていて、洞窟内には教会はもちろん、ワイナリーや貯蔵庫、学校などが見られます。最大で2万人もの人々が生活していたと見られていますが、建造された年代に関しては不明。デリンクユはさらに南へ10kmほど離れた村でここにも地下都市が見られます。

アニの考古遺跡

アニの考古遺跡
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アニはトルコ北東部のカルス市から東に約42kmの位置にあり、現在のアルメニアとの国境でもある峡谷沿いに建造されたシルクロードの商業都市でもありました。

ここは中世にバグラトゥニ朝アルメニア(885〜1045年)の首都であった場所。現在は7〜13世紀にかけて発展した中世の建築物が多く見られる遺跡となっています。

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世界遺産マニアの結論と感想

人類最古と考えられる遺跡があるだけあって、世界遺産に登録されている遺跡もたくさんあります!イスタンブールやカッパドキアなど、有名な観光地にも遺跡があるので、冒険好きならぜひ訪れてきてくださいね。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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