登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (4) |
登録年 | 1994年 |
ルクセンブルクは「北のジブラルタル」と呼ばれるほどの難攻不落の要塞を持っていたことで知られる都市。ここは神聖ローマ帝国、ハプスブルク家、フランス、プロイセン、さまざまな国々に支配されてきました。そんなルクセンブルクを守り続けた要塞は1867年に解体されるまで、数世紀にわたって活躍したことが評価されています。
ここでは、ルクセンブルク市:その古い街並みと要塞群がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ルクセンブルク市について詳しくなること間違いなし!
ルクセンブルク市:その古い街並みと要塞群とは?どこの国の首都?
ルクセンブルクはどこにある?なぜ国と首都が同じ名前?
ルクセンブルクは、フランスとベルギー、ドイツに囲まれた小さな国。これは面積は2586平方kmと、神奈川県と同じくらいの面積。ペトリュス川とルゼット川に合流する地に位置するルクセンブルク市は、大公が統治するルクセンブルク大公国の首都であり、標高約500mもの高原都市でもあります。もともとはここを中心に国が発展し、現在よりも広い領土を獲得していたのですが、1839年に独立する際に縮小し、ルクセンブルク大公国が現在の領土で成立。そのためルクセンブルクは国の名前と首都の名前が同じという珍しいもの。
ルクセンブルクの歴史は?その街並みはまるで軍事要塞
もともとこの地は10世紀頃に小さな砦がありました。やがて街が形成されると、14〜15世紀には城壁に囲まれた要塞へと変化。17世紀にはハプスブルク家(スペイン)が支配するようになると、城壁はより強化され、ヨーロッパ屈指の堅固な要塞となりました。それもあり、この時代から「北のジブラルタル」と呼ばれるように。フランスの統治時代はさらに要塞は拡大されましたが、1867年には永世中立国となったため、要塞は解体されました。
よって、要塞の大部分は残っていませんが、各国が支配していた時代ごとに築かれた門や堡塁(ほうるい)、砦などの一部は現在でも見られます。街は様々な時代の建築物が点在していて、まるで博物館のよう。
登録されている主な構成資産
大公宮殿
16世紀に建設されたスペイン統治時代のもので、イスパノ・モレスク様式(イスラム教徒支配下に流行した様式)の浮き彫りが特徴的。
チェンゲン要塞
プロイセン支配時に築かれた要塞。どんぐりのような屋根を持つことから「3個のどんぐり」とも呼ばれます。
ノートル・ダム大聖堂
17世紀に建造されたゴシック建築の大聖堂。ルクセンブルクで唯一の大聖堂で、2つの尖塔がシンブルです。
ルクセンブルク市:その古い街並みと要塞群はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
ルクセンブルク市が評価されたのが、以下の点。
登録基準(iv)
ルクセンブルクは、ヨーロッパの歴史において重要な役割を果たし、大自然に囲まれた要塞と旧市街の建築物が保存されているという点。
世界遺産マニアの結論と感想
数世紀ごとに支配者が変わったということもあって、ルクセンブルクは文化のモザイク都市ともいえるでしょう。そして、北のジブラルタルと呼ばれるほどに難攻不落だった要塞跡が残っていることからもヨーロッパにおいて重要な価値を持つ都市だったということも分かりますね。
ちなみに、永世中立国のスイスも金融で有名ですが、ルクセンブルクも金融センターとしても有名で、欧州投資銀行などが置かれていることでも有名です。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。