登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (3), (6) |
登録年 | 1983年 |
ベレンの塔は「リスボンのジェロニモス修道院とベレンの塔」の構成資産の一つ。インド航路を発見したヴァスコ・ダ・ガマがこの地から出発したことから、それを記念した16世紀に築かれた塔。ところで、ベレンの塔はなぜ世界遺産なのでしょうか?
ここではベレンの塔がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ベレンの塔について詳しくなること間違いなし!
ベレンの塔とは?

リスボンの中心部から西に位置するベレン地区。正式名称は「サン・ヴィセンテの塔」で、サン・ヴィセンテはリスボンの守護聖人を示しています。5階建ての塔はテージョ川河口に1515〜1521年に築かれました。建設を命じたのはアヴィス王朝のマヌエル1世(1469〜1521年)で、インド航路を開拓したヴァスコ・ダ・ガマ(1469年頃〜1524年)の偉業を称えるために建造したもの。
建築の目的としては灯台ではありますが、要塞としての機能も持っていました。建築家フランシスコ・デ・アルダによって設計され、ポルトガルで流行したマヌエル様式ではあるものの、監視塔の屋根にはイスラム建築を取り入れたムデハル様式も見られます。
ベレンの塔はどんな理由で世界遺産に登録されているの?



ベレンの塔が評価されたのが、以下の点。
登録基準(iii)
ジェロニモス修道院とベレンの塔は、大陸間の航路を発見したポルトガル人の知識や開拓精神などが見られ、15〜16世紀の文化を現在に伝えるものであるということ。
登録基準(vi)
壮麗な建築物やその装飾などには、ポルトガルの黄金時代の異なる文化間の交流が見られ、ポルトガル人が大航海時代の先駆者であったということを示すもの。
世界遺産マニアの結論と感想
ベレンの塔は、ヴァスコ・ダ・ガマの功績を記念して築かれたもので、大航海時代の先駆者であったポルトガルの黄金時代を示すという点で評価されています。
ちなみに、ヴァスコ・ダ・ガマは冒険家というイメージがありますが、インドにおける植民地拡大という仕事もあり、手荒なことも結構しているのです。それもあり、3回目の航海中の1524年にインド南部のコーチで病死してしまい、彼の葬儀はインドで行われ、遺体だけポルトガルの本土へと帰還したという経緯があります。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。