登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (2), (3), (5) |
登録年 | 2007年 |
温泉津(ゆのつ)は「石見銀山遺跡とその文化的景観」の構成資産の一つ。現在は温泉街として知られる温泉津ですが、なぜ世界遺産に登録されているのでしょうか?意外と知ってそうで知らない!
ここでは温泉津がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、温泉津について詳しくなること間違いなし!
温泉津とは?
大田市の北西部にある温泉津町は、石見銀山のある大森地区から西へ13.8kmの距離にあり、温泉津は開湯が1300年近く前と古くからの温泉街である一方、港町でもあり、戦国時代から江戸時代にかけて銀の積出港でした。
ここは温泉街といっても小規模の風情のある日本旅館が続き、2004年には「温泉津町温泉津伝統的建造物群保存地区」として、国の重要伝統的建造物群保存地区として選定されました。源泉である元湯は古来から存在しますが、もう一つの薬師湯は、1872年の明治時代に発生した地震によって湧き出たもの。
温泉津はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
温泉津が評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
16世紀〜17世紀初頭の大航海時代に、石見銀山における銀の大量生産によって、日本と東アジア、ヨーロッパの国々との交易から文化的交流が生まれたという点。
登録基準(iii)
日本における金属の採掘と生産の技術革新は、採掘から精錬までの一連の労働集約型経営による運営形態の進化がもたらされました。江戸時代の日本は鎖国していたために、政治と経済が孤立していた中、ヨーロッパの産業革命によって開発された技術の導入が防がれ、やがて銀鉱山が枯渇すると休山。よってここは19世紀後半まで伝統的建築物が残り、保存状態も良好であるということ。
登録基準(iv)
石見銀山には、保存状態が良い鉱山、製錬所、輸送路、港湾施設の遺構が森の中に多く残り、銀の生産に関連した集落も含まれ、歴史的な土地利用の証拠が見られるという点。
世界遺産マニアの結論と感想
温泉津は、古くから温泉街である一方、ここは石見銀山から近い港であったことから、銀の輸送路の終着地であり、ここから博多などに船で運ばれていったということを証明しているという点で評価しています。
ちなみに、1300年前に温泉津の源泉を発見したのはタヌキで温泉で傷を癒やしていた…という言い伝えがありますが、なぜタヌキが発見したのかは不明。それもあってか、タヌキは温泉津のシンボルで街中でイラストや置物などが置かれていたりします。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。