登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (2),(4) |
登録年 | 2011年 |
ケニア南東部のモンバサ港にある要塞は、スペイン王・フェリペ2世が命じ、イタリア人のジョヴァンニ・バティスタ・カイラティの設計によって建造され、16世紀のポルトガルが建造した要塞の中で保存状態が良いもの。ここは上から見ると人体の形をしており、これはルネサンスの理想である人間の身体と幾何学的な構造を調和した建造物でもあります。
ここではモンバサのジーザス要塞がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ジーザス要塞について詳しくなること間違いなし!
モンバサのジーザス要塞とは?
ケニア第2の都市であるモンバサ。ここは東アフリカでも最古の港町の一つで、アジアとアラビアから多くの物資が集まる都市でした。16世紀になるとポルトガル(当時はスペイン・ポルトガル同君連合)はこの地を支配するようになり、街の南端には、インド洋の海上貿易を守るためにスペイン王・フェリペ2世が命じ、イタリア人のジョヴァンニ・バティスタ・カイラティによって1593年から3年をかけてルネサンス様式の要塞が建造。
ここは5つの建造物が連なるという幾何学的なレイアウトとなっていて、真上から眺めると人間の形に見えるというもの。これはルネサンスの理想の一つ「神が造った完璧な創造物」である人間の形を表現しています。しかし、17世紀にオマーン帝国(1696〜1856年)の包囲戦によって、ポルトガルは放棄され、やがて18世紀にイギリスの統治下に置かれると牢獄となり、1958年に公園として開放されるようになりました。
モンバサのジーザス要塞はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
ジーザス要塞が評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
ジーザス要塞は、当時の東アフリカが政治や商業、文化など、グローバリゼーションの時代に建造されたもので、アフリカ、アラブ、トルコ、ペルシャ、ヨーロッパの文化の交流が見られます。当初はポルトガル人によって建造され、その後もインド洋を通じて多くの人々を受け入れ、アラブ、ケニア、イギリスの支配下に置かれ、交易の管理において重要な役割を果たしたという点。
登録基準(iv)
ジーザス要塞は、15〜16世紀の間で発生した軍事と兵器の技術革新がよく分かる建造物で、そのレイアウトは人体のプロポーションと幾何学の調和が見られるというルネサンスの理想を反映し、何世紀にも渡ってさまざまな国に占領されてもほとんど変わっていないということ。
世界遺産マニアの結論と感想
保存状態の良いジーザス要塞は、アジアと中東、アフリカなどの物資が集まる貿易港のモンバサに築かれたことがあり、ここはルネサンス時代の軍事・兵器技術の革新が見られ、当時の理想とされる人体を体現するという独特のデザインで設計されているという点で評価されています。
ちなみに、ジーザス要塞の周辺は旧市街になっていて、フルーツの屋台も多く出ています。東アフリカからインドへ向かったヴァスコ・ダ・ガマもこの地で柑橘類を詰め込んだそうなので、昔から美味しいフルーツが食べられる場所だったのでしょう。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。