登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (1), (2), (4) |
登録年 | 1981年 |
グアテマラ東部のキリグア遺跡は、3世紀ころから人が住んでいたとされるマヤ遺跡。8世紀にカック・ティリウが王だった時代に最盛期となり、神殿やピラミッド、球技場が築かれました。そして、マヤ文明最大の石碑である「石碑E」が存在し、今でもまだ不明な点が多いマヤ文明の研究において貢献しています。
ここではキリグア遺跡公園がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、キリグア遺跡公園について詳しくなること間違いなし!
キリグア遺跡公園とは?
キリグアは、グアテマラ東部のイサバル県にあり、ホンジュラスとの国境の近くにあります。ここは200年ころ〜900年ころまでに人々が暮らしたという遺跡や住居が残存。キリグアは近くにあり、世界遺産にも登録されているマヤ文明の都市国家コパンの衛星都市として5世紀ころから王朝が築かれたとされています。その後は翡翠や黒曜石の交易で繁栄し。8世紀のカック・ティリウが王だった時代に最盛期となり、彼はコパンのワシャクラフン・ウバフ・カウィール(18ウサギ王)を殺害したことでも有名です。
現在残る遺跡は、彼の時代に築かれたもので、マヤ文明の他の都市と同じように、中央広場を中心にピラミッドや神殿、宮殿、球技場など、コパンのような高水準のレリーフが残っています。そして、10基もの石碑が置かれていて、これらは浮き彫りだけでなく、重要な暦や日食などの天体に関すること、マヤ神話の一節、政治的な出来事など、都市の発展にまつわることが象形文字が刻まれています。中でも高さ10.6m、重さ59tものマヤ文明最大の「石碑E」があることで有名。しかし、キリグアは8世紀になると衰退し、9世紀を最後に人々はこの地を放棄したと考えられ、それ以降は遺跡となりました。
キリグア遺跡公園はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
キリグア遺跡公園が評価されたのが、以下の点。
登録基準(i)
考古公園は記念碑と遺跡の傑出した例で、マヤ文明の芸術の最大規模のコレクションでもあります。これらは彫刻家による高度な芸術作品で、それぞれ意味が込められていて、文明が過ぎ去ってもその美しさが分かるという傑作でもあるという点。
登録基準(ii)
考古公園の記念碑と遺跡は、200年ころから900年の古典期に築かれ、特に700〜850年にかけて「モタグア派」として知られる芸術様式が繁栄しました。この芸術様式はキリグアの記念碑で見られ、ホンジュラスやベリーズのマヤ文明の都市に芸術面で強い影響を与えたということ。
登録基準(iv)
キリグアの考古公園と遺跡は、マヤ文明の研究において貴重な資料となっていて、8世紀に築かれた石碑やカレンダーなどが含まれています。これらは部分的に解読されていて、マヤ文明の社会・政治・経済に関する歴史の情報源であり、動物や擬人化された彫刻は、ヨーロッパ人の入植前の芸術作品として優れているという点。
世界遺産マニアの結論と感想
キリグアは、コパンの衛星都市ではありましたが、大いに繁栄して独自の芸術様式が発展し、周辺の都市国家に影響を与えました。多く残る石碑はその芸術性だけでなく、マヤ文明の社会や文化、経済などの貴重な資料であるという点で評価されています。
ちなみに、遺跡の周囲はデルモンテ・フーズが経営するバナナ園となっていて、石碑がバナナ園を作るために土地を掘削した時に発見されたものも。デルモンテは日本だとケチャップメーカーのイメージが強いのですが、世界的にはさまざまな加工食品を扱う食品メーカーでもあります。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。