メキシコの世界遺産「ソカロ広場」とは?世界遺産マニアが解説

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登録区分文化遺産
登録基準(2), (3), (4), (5)
登録年1987年

ソカロ広場は「メキシコシティ歴史地区とソチミルコ」の構成資産の一つ。メキシコシティの中心部である場所で、植民都市になった後は周囲に優雅な建造物が築かれるようになりました。ところで、ソカロ広場はなぜ世界遺産なのでしょうか?

ここではソカロ広場がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ソカロ広場について詳しくなること間違なし!

目次

ソカロ広場とは?

画像素材:shutterstock

メキシコシティの中心部にあり、歴史地区の中央広場を指していて、なんと57,600平方mの広さを誇ります。「ソカロ」とは台座を意味してて、正式名称は「憲法広場」。アステカ帝国時代から広場は集会所として利用されていて、16世紀にスペインからやってきた征服者コルテスによって破壊された後も、ここを中心に碁盤の目のように道路が作られ、新大陸の植民都市のモデルとなったのです。

広場には、アステカ帝国時代の宮殿を利用した国立宮殿、かつての聖域の上に築かれたメトロポリタン大聖堂など、ここが「テノチティトラン」と呼ばれていた時代の建造物を再利用したものが多いのが特徴。この地にはメキシコ独立革命(1810〜1821年)を祈念してモニュメントが築かれる予定でしたが、台座のみが置かれていたことから「ソカロ(台座)」と呼ばれ、後にメキシコ各地の中央広場もソカロと呼ばれるようになりました。

ソカロ広場はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

画像素材:shutterstock

ソカロ広場が評価されたのが、以下の点。

登録基準(ii)
14〜19世紀にかけて、この地はテノチティトランからメキシコシティへと変わり、アステカ帝国の建築技術などが植民地時代の建設物にも影響を与えているという点。

登録基準(iii)
地下に埋没していたテンプロ・マヨールは、この地でかつて繁栄したアステカ文明の存在を示すということ。

登録基準(iv)
広場を中心として碁盤の目のように通路が配されるという都市設計は、植民都市を代表するモデルであるという点。

登録基準(v)
ソチミルコの農業風景は、スペインによる征服前のメキシコ高原の暮らしを彷彿とさせるというものであるということ。

世界遺産マニアの結論と感想

ソカロはアステカ帝国から存在していた広場で、その後も植民都市の中心部あり続け、広場の周囲には歴史的建造物が残っているという点で評価されています。

ちなみに、メキシコの独立記念日の前日である9月15日の夜11時になると、広場の東側にある国立宮殿のバルコニーで大統領が、最初の独立指導者ミゲル・イダルゴの演説である「ドロレスの叫び」を再演するのが伝統。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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