イランの料理というと、あまりイメージできないかもしれないが…実は中東料理のルーツはイラン(ペルシャ)ということも多かったりする。とはいえ、イランはお国柄か、それほど外食は発展しておらず「イランらしい料理」って意外と街中ではお目にかかれない。その中でもカフェでもレストランでも、割と印象に残るのが、肉と豆のトマトスープである「アブグーシュト」。これはどんなグルメなのか?
今回は、イランの世界遺産・ペルセポリスの帰りに味わったグルメ「アブグーシュト」を紹介。世界遺産巡りのついでに味わってほしい「世界遺産級の激ウマ・グルメ」を解説していこう。
イランの世界遺産「ペルセポリス」は中東でも屈指の規模を誇る遺跡
ペルセポリスは、イラン南部のファールス州の高原に位置する広大な遺跡。現在は無数の列柱とレリーフが残る遺跡だが、かつてはオリエント全域を支配した大帝国のアケメネス朝ペルシアの重要な都市だった。帝国内の道はこの地へと繋がっていて、各地から物資と人材が運ばれたことから、豪華絢爛な都市だったらしく、それはレリーフに刻まれた様子からうかがい知ることができる。
…が、紀元前4世紀にマケドニアのアレクサンドロス大王によって帝国が滅ぼされるとここも廃墟に。今は旅行者だけでなく、イラン人にとっても重要な遺跡で、多くの学生が訪れる定番スポットだ。大抵、こういう観光スポットの周囲には名物を出すレストランがあるのだが…周囲は荒野であるためか、チャイハーネ(喫茶店)があるくらいで、観光客向けのレストランがほとんどない。なぜかイランはこういうところにおける飲食ビジネスに積極的でないのだ(その理由は不明)。
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起点の街シーラーズのバザールで食べたいのが…「アブグーシュト」
ペルセポリスはペルシャ人の誇りではあったのだが、衰退後はこの地方の中心地は7世紀にはペルセポリスから南東にあるシーラーズという地方都市へと移っていく。ここはイスラム時代から近代までは学問や文化の中心地で今でもシーラーズ大学は名門だ。そういった背景もあり、旧市街は歴史的建造物が残っていて、どれも青のタイルとミニチュアール(細密画)が美しい。
ペルセポリス周辺ではまともなグルメがないので、とりあえず、起点となるシーラーズへと戻る…が、シーラーズも名物らしい名物がないというのが実情。しかし、旧市街をうねうねと巡っている屋根付きバザールにはちょっとオシャレなレストランがいくつかはあるので、多少はイランらしいグルメが食べられる。特にランチなら、チャイハーネでも出している気軽なスープ料理「アーブグーシュト」にありつくこともできる。
このアーブグーシュトは、いわば「肉汁」という意味ではあるが、「ディーズィー」と呼ばれる小さな素焼きの壺に、羊のすね肉、ヒヨコ豆、じゃがいもなどを入れて煮込むトマト風味のスープで、素朴ながらも味わい深いもの。イランの家庭ではホレシュテと呼ばれるスープをよく食べるのだが、クセがないためか、アブグーシュトは外食の定番で、子供からお年寄りまで大好きなメニューだ。
そのまま食べてもおいしいのだが…イラン人の食べ方が独特。一緒に出されるナーンと呼ばれるパンをちぎってスープを浸し、残った具材はマッシャーでひたすらすり潰し、肉じゃがのようにする。まぁ、食べ方はさまざまだろうが、ペーストをナンに挟んで食べるもよし、ナンが混ざったスープを食べるもよし…結構、スープひとつでいろんな食べ方ができるものだ。意外にも肉じゃがと化したペーストはホクホクだが、割とトマトの風味が効いていて飽きもなく…ナンとの相性は抜群!
…これは「世界遺産級」の味わいだ!
我々はまだまだペルシャ料理の真髄をよく知らない…
しかし、日本人には想像が付かない食べ方だななぁ。ただこれは現地の人に教えてもらわないと分からないだろう。彼らはスープの美味しい食べ方をよく知っているのだ!しかも、無駄がない。
そもそもスープというのは、具材を汁となじませて食べるのがベストという概念があるが、さすが中東料理のルーツであるペルシャだけあって、我々の想像を超える食べ方である。とはいえ、炭水化物のオンパレードなので、結構オッサン向けの料理らしく、若い女子が食べている姿はそれほど見かけない…という男向けのグルメなので、食べる前は腹の空き具合と相談してほしい。
世界遺産のついでに世界遺産級のグルメも同時に楽しんでみてはいかが?
※こちらの内容は、あくまでも過去に現地を訪れた際に体験したものであり、最新情報はご自身でご確認ください。