イランの世界遺産「エスファハーンのイマーム広場」とは?世界の半分と呼ばれた理由を含めて世界遺産マニアが解説

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登録区分文化遺産
登録基準(1),(5),(6)
登録年1979年

イラン高原のほぼ中央に位置するエスファハーン(イスファハーン)には「世界の半分」と呼ばれるほど美しいイマーム広場があります。ほとんどの建築物は17世紀にサファヴィー朝のシャー(王)であるアッバース1世に建造されたもの。大きな広場には縁を沿うように美しいモスク、宮殿、回廊が作られ、当時ここを支配していたサファヴィー朝の芸術性や技術力の高さを示しています。

ここでは、エスファハーンのイマーム広場がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、イマーム広場について詳しくなること間違いなし!

目次

エスファハーン(イスファハーン)のイマーム広場とは?なぜ「世界の半分」と呼ばれるようになった?

エスファハーンのイマーム広場
画像素材:shutterstock

エスファハーン(イスファハーン)はイラン中部にあるエスファハーン州の州都。イラン高原は乾燥地帯で、エスファハーンは街の中心を流れるザーヤンデ川の水を利用したオアシス都市です。

町の起源は、アケメネス朝ペルシャ時代に遡り、8世紀にイスラム王朝が支配すると、交易都市として栄えました。16世紀になると、イラン西部でサファヴィー朝が成立し、17世紀にエスファハーンは第5代シャー(王)であるアッバース1世によって新首都に選ばれます。彼はコーランに記された楽園を実現しようと、新市街を建設。エスファハーンは「世界の半分」と称されるほどに美しい建設物が並ぶ都市へと発展しました。

イマームのモスク/エスファハーンのイマーム広場
画像素材:shutterstock

新市街の中心に作られたのが、イマーム広場。これは1979年のイラン革命後に付けられた名称で、もともとは「王の広場」と呼ばれていました。その名の通り、アッパース1世が建造したもので、長さは510m、幅160mの大きな広場です。広場を囲む2階建ての回廊に、4辺にモスクや宮殿などの壮麗な建築物が並ぶという構造。

ここはペルシア発祥のポロという競技が行われたり、公開処刑が行われたりと、政治や文化が混在する広場でした。広場を見下ろすアリー・ガープー宮殿や彩色タイルやアラベスク文様が美しいイマームのモスクなど、アッバース1世の理想的空間を作り出したもの。18世紀にサファヴィー朝が滅ぶと首都機能は他の都市へと移り、現在のエスファハーンはのんびりとした地方都市に。

現在の回廊の1階はお土産屋などが並ぶアーケードとなっていて、今でもアッバース1世の時代の雰囲気を現在に残しています。

登録されている主な構成遺産

イマームのモスク

イマームのモスク/エスファハーンのイマーム広場
画像素材:shutterstock

広場の南側にある広大なモスクは、本来は「王のモスク」と呼ばれたもの。アッパース1世の命により、1630年に完成したもの。巨大な青いドームに4つのミナレット(塔)が配され、その美しい外観はイラン建築の最高傑作とされます。遠くから眺めると曲がっているように見えますが、中庭はメッカの方向に合わせて45度ずらして建築されたもの。

入口のイーワーン(アーチ状になっているホール)は、鍾乳石をイメージした「ムカルナ」という装飾がされていて、イマームのモスクのものはイラン国内でも抜群の美しさを誇ります。

アリー・ガープー宮殿

アリー・ガープー宮殿/エスファハーンのイマーム広場
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広場の西側にある2階建ての宮殿。もともとこの地には宮殿があったのですが、それをアッバース1世が2層の建設物に改築。2階には18本の木柱が施されたテラスがあり、シャーが広場で行われるイベントを眺めたりするのに使用したとされます。迎賓館としての役割もあり、内部は人や鳥などをモチーフにした細密画が描かれたもの。

シャイフ-ロトフォッラー・モスク

シャイフ-ロトフォッラー・モスク/エスファハーンのイマーム広場
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広場の東側にある王宮の専用のモスク。アッバース1世によって建設され、イマーム・モスクが「男性のモスク」と呼ばれるのに対し、こちらは「女性のモスク」とされています。モスクであるのに中庭やミナレットがないというのが特徴的。黄色のタイルが施されたドームは、イランの中でも最も装飾の美しいドームとされています。

エスファハーン(イスファハーン)のイマーム広場はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

エスファハーンのイマーム広場/エスファハーンのイマーム広場
画像素材:shutterstock

イマーム広場が評価されたのが、以下の点。

登録基準(i)
エスファハーンは優れた都市設計で建造され、イマーム広場に残る美しい建造物はすべて注目に値するという点。

登録基準(v)
イマーム広場の周囲は、オープンスペースがないほどに建造物が密集して独特の都市建築となっているということ。

登録基準(vi)
イマーム広場は、サファヴィー朝の首都であったエスファハーンの中心であり、軍隊のパレード、ポロ、祝賀会、公開処刑など、当時の生活や文化が分かる存在であるという点。

世界遺産マニアの結論と感想

イマーム広場は、青いタイルを使用した美しい建設物の集合体として有名ですが、ここは中庭を持たない独特の都市を形成しているという点で評価。そして、広場では国家的イベントや公開処刑、スポーツの場として、当時の生活や文化が今でもよく分かるというのもポイント。

ちなみに、エスファハーンにはベリヤーニーという、ラム肉のミンチにピーナッツやくるみを巻いて食べる料理があります。シンプルな料理ですが、地元民には人気が高く、イマーム広場にも専門店があるというほど。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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