ソンツェン・ガンポ(581年頃〜649・650年頃)は、チベット高原に最初の統一王朝である吐蕃(とばん)を築いた王です。彼は軍事遠征を通じて周辺諸国を統一し、外交政策を展開するとともに仏教を導入し、チベット文化の基礎を築きました。そんなソンツェン・ガンポとはどういった人物だったのでしょうか?
今回はソンツェン・ガンポがどんな人物だったかを世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、について具体的に理解できること間違いなし!
ソンツェン・ガンポとはどんな人物?
初めてチベットを統一した王様

ソンツェン・ガンポは、チベットのヤルルン王朝(吐蕃王国の前身)の王ナムリ・ソンツェンの子として生まれました。ナムリ・ソンツェンが暗殺された後、彼は630年頃に13歳で即位。ソンツェン・ガンポは、軍事力を強化し、西部の王国を含めて次々と周囲の部族を征服。東方では唐、南方ではネパールやインド北部の国と接触し、国際的な影響力を拡大していきました。
それまでのチベットでは、ボン教という土着宗教が信仰されていましたが、ソンツェン・ガンポは仏教を積極的に受け入れ、インドと中国の仏教文化がもたらされます。さらに彼は今まで文字がなかったチベットのためにチベット文字を部下に命じて作らせたという伝承もあるほど。そして、建築的な偉業としては、なんといっても首都ラサを建設し、政治・宗教の中心地としたという点。
唐の皇女・文成公主(ぶんせいこうしゅ)との結婚



ソンツェン・ガンポは、軍事力だけでなく、外交政策にも優れた手腕を発揮しました。特に唐との関係性は重視していて、政略結婚によって相互関係を強化していきました。
634年に彼は唐に使者を送り、公主(皇女)との結婚を申し込むものの、初めは拒否されますが、吐蕃が唐の属国であり吐谷渾(とよくこん)を攻撃したため、唐は吐蕃の要求を受け入れました。641年に文成公主(623年頃〜680年)がソンツェン・ガンポの息子の妃としてチベットに嫁ぐものの、すぐに死別したためにソンツェン・ガンポと再婚。文成公主は仏教を信仰していて、彼女が仏像を持ち込んだりと、チベットにおける仏教の普及にも貢献しました。
ソンツェン・ガンポにまつわる世界遺産はこちら!
トゥルナン寺(ジョカン寺)/中国



旧市街に位置するチベット仏教の寺院。7世紀にチベット初の統一王国・吐蕃を開いたソンツェン・ガンポ(581年頃〜 649年もしくは650年)によって設立されました。中国語名は大昭寺であり、本堂を意味する「ジョカン」からジョカン寺とも呼ばれます。
現在見られるのは11世紀初頭に再建されたもの。本尊は文成公主(623年頃 〜680年)が中国から持参したとされる釈迦牟尼です。
詳細はこちら↓



世界遺産マニアの結論と感想
ソンツェン・ガンポは、チベットを初めて統一し、広大な王国を築いた偉大な王でもあります。チベット文字の起源は伝承ではありますが、後のチベット仏教の形成に大きく貢献。彼の影響は現在も残っていて、寺院では彼を称える壁画や仏像がいくつか残されています。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。