天才音楽家モーツァルトと、フランス王妃マリー・アントワネット。一見、接点がなさそうな二人ですが、実は幼少期にウィーンで出会ったという有名なエピソードがあります。その邂逅は事実なのでしょうか?
今回はモーツァルトとマリー・アントワネットの関係を世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、その関係について具体的に理解できること間違いなし!
モーツァルトとマリーアントワネットとはどんな関係?

モーツァルトが6歳の時、父・レオポルトと共にヨーロッパ各地を回る演奏旅行の一環として、1762年にウィーンのシェーンブルン宮殿を訪れました。その際、モーツァルト親子はハプスブルク家の女帝マリア・テレジアの前で演奏を披露したとされています。このとき、まだオーストリアの王女であったマリー・アントワネットもそこに同席していたとされ、伝説によれば、モーツァルトは転んだ際に助けてくれた彼女に「大きくなったらお嫁さんにしてあげる」と言ったというのは広く知られるエピソード。
しかし、このエピソードはロマンチックな逸話として語られることが多いですが…史実としての裏付けはなく、伝説の域を出ていません。
モーツァルトはどんな人物?



ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756〜1791年)はオーストリア西部の都市・ザルツブルクに生まれ、幼少期からその非凡な才能を発揮しました。オペラ、交響曲、協奏曲、室内楽など、あらゆるジャンルで名作を生み出し、クラシック音楽史において最も重要な作曲家の一人とされています。
彼の生涯の中でフランスのパリを訪れた記録はあるものの、マリー・アントワネットがフランス王妃となった後に再会したという記録はありません。そして、1791年に35歳という若さでウィーンにて亡くなりました。
マリー・アントワネットはどんな人物?



マリー・アントワネット(1755〜1793年)はウィーンで生まれ、マリア・テレジアの娘としてオーストリア・ハプスブルク家で育ちました。14歳でフランス王太子ルイ(後のルイ16世)と結婚し、ヴェルサイユ宮殿に暮らすことになります。
彼女は浪費癖や政治への無関心などで民衆の不満を買い、フランス革命の波に飲まれ、モーツァルトの死後、1793年にギロチンで処刑されました。そして、生涯を通じてフランスに滞在したため、結婚後はオーストリアに戻ることはなく、モーツァルトとの再会もなかったとされています。
世界遺産マニアの結論と感想
モーツァルトとマリー・アントワネットは、幼い頃に一度だけ出会った可能性があると言われていますが、その後の生涯において再び交わることはありませんでした。さらには、マリー・アントワネットが特別に音楽を愛していたという記録も少なく、モーツァルトとの接点はほぼなかったと言えるでしょう。
共通点があるとすれば、二人とも30代という若さでこの世を去ったこと、そして、ヨーロッパ史の中でドラマティックな運命を辿ったということでしょうか。歴史的には全く記録がありませんが、二人の関係はロマンと現実が交錯するエピソードとして、今も人々の想像をかきたてる関係でもあります。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。