登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (2), (4), (6) |
登録年 | 2005年 |
ベラルーシ中部にあるネスヴィジは、かつてはフィレンツェのメディチ家と並ぶほどの名門だったラジヴィウ家の本拠地として科学や芸術などが発展した場所。彼らの邸宅であったネスヴィジ城と周囲の教会は、中央ヨーロッパとロシアの建築の原点となりました。
ここではネスヴィジにあるラジヴィウ家の建築的・居住的・文化的複合体がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ネスヴィジ城について詳しくなること間違いなし!
ネスヴィジにあるラジヴィウ家の建築的・居住的・文化的複合体とは?
ベラルーシ中央部のネスヴィジは、かつてポーランド・リトアニア共和国の領地であった場所。ここは名門貴族であったラジヴィウ家の本拠地があり、16世紀に城を所有するとヨーロッパ各地から建築家、芸術家、職人をここに招待しました。その影響もあり、20世紀までこの地は科学、芸術、工芸、建築など、各分野で発展した文化都市に。特にこの地で磨かれた建築技術は周囲の国々やエリアに多大な影響を与えています。
ネスヴィジ城
この城がラジヴィウ家のものになったのは16世紀。その後、1582年にラジヴィウ家のミコワイ・クシシュトフ・ラジヴィウ・シェロトカが、ルネサンス様式とバロック様式の混在する城を建設。そして、水路を挟んで橋の先にある「キリスト聖体教会」もこの時期に建造され建造物で、ドーム天井が美しく、ここはラジヴィウ家の霊廟として利用されました。城は18世紀にスウェーデンやロシアなどによって破壊されたため、19世紀に大幅に修復され、庭園は広大な英国式の風景デザインに整備されました。
城は住居を含めて10もの建物で構成され、周囲には今でも要塞と城壁が残存。そして、1平方kmもの広大な庭園に囲まれています。
ネスヴィジにあるラジヴィウ家の建築的・居住的・文化的複合体はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
ネスヴィジ城が評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
ネスヴィジには中央ヨーロッパにおいて前衛的な建築学校が設立されるなど、ネスヴィジの城は、西欧の伝統を受け入れつつも新しい様式を導入した場所でもあったということ。
登録基準(iv)
ネスヴィジは、16〜17世紀の中央ヨーロッパの建築の新たなる段階を示す場所であったという点。
登録基準(vi)
ラジヴィブ家は、西欧の文化を取り入れることで、中央・東ヨーロッパに新しい概念などを広めるという点で貢献したということ。
世界遺産マニアの結論と感想
この世界遺産は「ネスヴィジ城」だけの登録ではなく、「ラジヴィウ家の建築的・居住的・文化的複合体」という理由は、有力貴族であったラジヴィウ家が西欧の文化を受け入れ、ここで建築や文化が発展したという点が重視されています。よって、城の建築様式ではなく、この城がラジヴィブ家の発展のシンボルでもあり、それが現在残る城から見られるという点で評価されているのです。
そして、城の一部はホテル&レストランになっていて、世界遺産に宿泊することができます!…が、意外と設備は中級ホテルくらいなので「ネスヴィジ城の暮らし」を垣間見ようとする人はがっかりするかも!?
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。