登録区分(暫定リストに記載) | 文化遺産 |
登録基準(暫定リストに記載) | (1),(2),(3),(4),(6) |
申請年(暫定リスト) | 1992年 |
鎌倉は、鎌倉幕府が開かれた地であり、神社や寺院などの歴史的建造物が多く並ぶことから、世界遺産に登録されるのは間違いなし!と思いきや…なかなか世界遺産にならないですよね。これだけ有名な観光地なのになぜ?
ここでは武家の古都・鎌倉なぜ世界遺産でないのか?世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、鎌倉について詳しくなること間違いなし!
武家の古都・鎌倉とは?
鎌倉は神奈川県の南西部・相模湾に面していて、周囲はすべて山々に囲まれた土地であり、「天然の要塞」とも呼べる場所。ここは12世紀から150年以上に渡って武家政権が築かれ、鎌倉時代は政治、経済、文化の中心地でもありました。そして、鎌倉幕府が滅んだ後も、江戸時代の終わりまで武家政権が続いたという点でも鎌倉は日本の歴史の大きな変化が起きた場所でもあります。江戸は東京となり、近代都市となったものの、鎌倉は武家の文化がそのまま残っているという点で評価されました。
現在の鎌倉に残る神社や寺院、武家屋敷や道、港の跡といった考古学遺跡が残り、これらは12世紀後半〜14世紀前半までの約150年間に築かれたもの。これらは鎌倉時代以降も保護されてきて、現在でも当時の様子を伝えています。
武家の古都・鎌倉はなぜ世界遺産として登録されないの?
もちろん、日本政府も鎌倉の価値を理解しているので、1992年には「武家の古都」として、世界遺産の暫定リストとして登録しています。しかし、この「暫定リスト」というのはあくまでも「世界遺産候補」というだけであって、正式に世界遺産に認められるには、毎年開催される世界遺産委員会にて、文化遺産としてふさわしいか専門調査が行われた後、委員会で決定され、初めて世界遺産になるのです。
暫定リストには載るだけ載ったものの、実はどこを登録すればいいのか…というの状態からのスタートだったのです。2007年ころから神奈川県と鎌倉市、横浜市、逗子市が動き出し、世界遺産の登録に向けた活動が始まると、ようやく2012年にユネスコに推薦書を提出。
その後、ユネスコの諮問機関ICOMOS(イコモス)の調査が始まったのですが、なんと鎌倉時代の様子が分かる要素が少ないといった理由で「不登録」となってしまったのです。よって、日本政府は世界遺産委員会の審議を受ける前に推薦を取り下げてしまったのです。
さらに…2022年にはこの4県市は、ICOMOSが求める普遍的価値を構築するのは時間がかかるとし、鎌倉の世界遺産登録を「中長期的な目標」して当面の間、推薦書案の作成の活動は休止することを発表。いつかは世界遺産になるかもしれませんが、「第一部・完」状態となり、第二部はあるんかい!っていう状態となっている感は否めないかもしれません。
武家の古都・鎌倉はどんな理由で世界遺産に登録される予定だったの?
日本政府が提出したの暫定リストに記載されている登録基準としては、以下の点。
※これらは1992年に暫定リストに記載された、日本における基準です。
登録基準(i)
人類の創造的資質
登録基準(ii)
文化の交流を示すもの
登録基準(iii)
現存or消滅した文明の証拠
登録基準(iv)
人類の歴史を象徴する建築物の代表的な段階や景観の見本
登録基準(vi)
人類史上に残る出来事や現存する伝統、思想、信仰、芸術
実は世界遺産の登録価値というのは、2010年までは言明する必要性がなかったため、暫定リストでは詳しい記載がありません。4県市の世界遺産の特設サイトによると…
・日本初の武家政権が存在した地であるということ
鎌倉は源頼朝が鎌倉幕府を開いたことで、貴族社会から武家社会に変わったことが分かる場所で、ここに幕府が置かれたことから土木技術を駆使して開拓されて続けました。そして、山と一帯になった社寺が並ぶ景観は鎌倉ならではという点。
・武家の文化が生み出されたというと
ここは武家の故郷のような場所で、禅宗を取り入れ、倫理感や精神的基盤が見られる独特の武家文化が見られる地。そして、信仰心の強い武家によって社寺が作られ、この文化伝統が江戸時代が終わるまで約700年続いたということ。
…こんな内容で登録していく予定だった様子。
武家の古都・鎌倉として登録された際の構成資産
11の神社・寺院と、10の寺院跡・武家館跡・切通・港跡の考古学的遺跡で構成される予定。ここでは有名なものを紹介。
鶴岡八幡宮
鎌倉の中心部にある鶴岡八幡宮は、1180年に源頼朝が造営。ここは幕府で最も重要視された神社で、公式行事も行われた場所でもあります。現在の八幡宮は、1191年の大火後に再建された際の配置を基にしたもので、鎌倉幕府滅亡後も、足利氏、後北条氏、徳川氏などから守護神として維持され、特に1624年には江戸幕府の2代将軍の徳川秀忠によって造替が行われ、その後も江戸幕府によって再建・修復などが行われていきました。
建長寺
鶴岡八幡宮の北側に位置する建長寺は、禅宗の寺院で武家文化の発展に貢献しました。ここは1253年に鎌倉幕府・第5代執権の北条時頼によって創建。何度も火災や暴風によって焼失したり、倒壊したりしていて、現在の建長寺は江戸時代に修復されたもの。谷の間に築かれた寺院であり、背後に山が位置する鎌倉を代表する社寺の風景が残る場所。
鎌倉大仏
鎌倉の西部にある鎌倉大仏は、幕府の主導で作られた銅造阿弥陀如来坐像です。ここは1252年に鋳造が開始され、1264年には完成していたされるもの。もともとは大仏殿があったと推測されますが、何度も倒壊し、15世紀以降は再建されませんでした。その後も、何度も災害に遭うも修復が続けられ、高さ約11.5mの大仏は700年以上に渡って鎮座しています。
世界遺産マニアの結論と感想
鎌倉は日本人からしては「武士の故郷」として世界遺産級の価値を感じている一方、鎌倉時代の要素が少ない…という客観的な視点で評価されなかったという残念な場所でもあります。とはいえ、世界遺産としてのポテンシャルは秘めているので、あくまでも「価値の見せ方」を追求さえすれば…いずれかは世界遺産になると信じています!
しかし、昨今のインバウンドで「東京から日帰りで行ける古都」であり、日本人からすれば定番の観光地。世界遺産になったら「景観保護」も必要となっているので、ただでさえ制約が増えている鎌倉市民に迷惑がかかるんじゃないか…とも思うので、世界遺産登録は表裏一体でもありますけどね。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。