山梨県の世界遺産「河口浅間神社」とは?世界遺産マニアが解説

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登録区分文化遺産
登録基準(3), (6)
登録年2013年

河口浅間神社は「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の構成遺産の一つ。河口湖の北側にあり、江戸時代までは富士講で大いに賑わった神社で、本殿にはその名残が見られます。ところで、河口浅間神社はなぜ世界遺産なのでしょうか?意外と知ってそうで知らない!

ここでは河口浅間神社がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、河口浅間神社について詳しくなること間違いなし!

目次

河口浅間神社とは?

河口浅間神社
画像素材:shutterstock

富士河口湖町にある浅間神社の一つ。河口湖の北東に位置する神社で、創建は865年と古くから存在しています。ここは登拝が大衆化した時に御師(富士講を行う信者たちのための宿泊所や食事の用意、登山道の案内などを行う人々)の集落として発展するも、江戸時代になると、富士吉田の発展によって衰退していきました。

現在の本殿は1607年に徳川家康の家臣であった谷村藩領主の鳥居成次(なりつぐ)によって再建されたもの。唐破風の向拝を備えていて、社殿の衆には樹齢1200年を越える七本のスギがあり、神木として祀られています。

河口浅間神社はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

河口浅間神社
画像素材:shutterstock

河口浅間神社が評価されたのが、以下の点。

登録基準(iii)
成層火山として雄大な富士山は、断続的な火山活動があったことから、古代から現代にいたるまで伝統的な山岳信仰が残っています。巡礼者は、山頂への登拝や麓の神社への巡礼を通じて、神仏の力を得ることを望むという富士講は富士山への深い崇拝に結びつくもの。富士山の均整のとれた美しい姿は、無数の芸術作品にもインスピレーションを与え、自然と共生しながら独自の伝統へと結びついていました。関連する文化遺産には、富士山の崇拝を中心とした伝統文化が残されているという点。

登録基準(vi)
富士山の景観は湖や海の上にそび立つように火山が位置するというイメージで、これは古くから文学や芸術などのインスピレーションを与えてきました。特に19世紀の葛飾北斎や歌川広重の浮世絵に描かれた富士山の姿は、その後、西洋美術の発展に大きな影響を与え、現在も世界中で知られる名山であるということ。

世界遺産マニアの結論と感想

河口浅間神社は、江戸時代までは周囲の中でも御師が多く住むエリアであったために、本殿には当時の繁栄の跡などが見られ、富士講で賑わったということが分かるという点で評価されています。

ちなみに、河口浅間神社の裏側の丘には、「天空の鳥居」と呼ばれる遥拝所があり、ここからは鳥居の中に富士山が見られ、絶景スポットでもあります。しかし、あくまでも遥拝の場所なので、写真を撮る時は節度ある撮影に留めておきましょう。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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