佐賀県の世界遺産「三重津海軍所跡」とは?世界遺産マニアが解説

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登録区分文化遺産
登録基準(2), (4)
登録年2015年

三重津海軍所跡(みえつかいぐんしょ)は「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産の一つ。ここは日本に現存する最古の乾船渠(ドライドック)の遺構が残る場所。ところで、三重津海軍所跡はなぜ世界遺産なのでしょうか?意外と知ってそうで知らない!

ここでは三重津海軍所跡がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、三重津海軍所跡について詳しくなること間違いなし!

目次

三重津海軍所跡とは?

三重津海軍所跡
画像素材:写真AC

佐賀県佐賀市川副町にある三重津は、筑後川の支流である早津江川河口に位置し、1858年に佐賀藩によって海軍所が設立。ここには造船所と訓練所が存在していました。

三重津海軍所には日本最古の乾ドック(船渠、水を抜くことができるドック)の跡があり、ここでは1865年に日本初の実用蒸気船・凌風丸(りょうふうまる)が建造されたことでも有名。

2000年代から発掘が進み、乾ドックは深さ3.5mほど、幅24.5m、長さ60m以上の規模であったことが分かりました。ドックは木製骨格に粘土と砂を交互に重ねて築かれていて、さまざまな説があるものの、ここは日本人が独自に設計した西洋式の乾ドックとしてその価値が高いもの。具体的な時期は分かっていませんが、明治以降に海軍所は閉鎖。現在は公園として開放されているものの、ドックは埋め立てられていて当時の姿を想像するのは難しくなっています。

三重津海軍所跡はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

三重津海軍所跡
画像素材:写真AC

三重津海軍所跡が評価されたのが、以下の点。

登録基準(ii)
明治日本の産業革命遺産は、江戸時代から続く封建社会であった日本が19世紀半から西欧の技術によって20世紀初頭まで短期間で世界有数の工業国となり、そのノウハウや技術など、東アジアの工業化において影響を与えたという証拠である点。

登録基準(iv)
日本各地に残る鉄鋼、造船、石炭の産業拠点は、世界の歴史において、西欧諸国以外で初めて近代化に成功し、西欧技術の採用により、地元の技術革新と合わせて日本独自の工業化を反映した産業遺産であったということ。

世界遺産マニアの結論と感想

三重津海軍所跡は、現在は埋められられているものの、西洋の技術を参考にして日本人が設計した最古の乾船渠であり、日本初の実用蒸気船も築かれたことから、東アジアの工業化において大いに貢献したという点で評価されています。

ちなみに、凌風丸は完成後、藩主によって長崎の諫早湾まで公開していて、要人の輸送などにも利用されたのですが、1870年に有明海で座礁してしまい、外国人に売却されるという悲しい運命を辿ることになります。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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