岩手県の世界遺産候補「達谷窟毘沙門堂」とは?その読み方も含めて世界遺産マニアが解説

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登録区分(暫定リストに記載)文化遺産
登録基準(暫定リストに記載)(2),(6)
申請年(暫定リストに記載)2012年

「平泉―仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群―」が拡大登録を目指していて、達谷窟毘沙門堂(たっこくのいわやびしゃもんどう)は構成資産の候補の一つ。ところで、達谷窟毘沙門堂はなぜ世界遺産候補なのでしょうか?

ここでは達谷窟毘沙門堂がなぜ世界遺産候補なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、達谷窟毘沙門堂について詳しくなること間違なし!

目次

達谷窟毘沙門堂とは?

達谷窟毘沙門堂
画像素材:写真AC

平泉の中心部から南西へ約6kmに位置するお堂。読み方としては「たっこくのいわやびしゃもんどう」。ここは最上川の支流である大田川の渓谷沿いにあり、現在の天台宗達谷西光寺の境内にあります。お堂は幅約150m、高さ約35mの岸壁の下にある岩屋に築かれ、京都の清水寺と同じ構造の懸造(かけづくり)となっていて、長い柱や貫で床下を固定しているのが特徴。

創建は平安時代。801年に征夷大将軍であった坂上田村麻呂(758〜851年)がこの地を支配していた悪路王(あくろおう、かつてこの地で暮らしていた蝦夷の族長・アテルイをモチーフにした架空の人物)を討伐した記念に建造されたとされています。その後、室町時代や江戸時代に再建され、現在のお堂は1961年に再建されたもの。

達谷窟毘沙門堂
画像素材:写真AC

岸癖の西側には大日如来や阿弥陀如来とされている大きな磨崖仏が刻まれていることでも有名。これは11世紀に繰り広げられた、前九年・後三年の役で亡くなった人々を供養するために平安時代の武将・源義家(1039〜1106年)が建造したと伝えられています。

達谷窟毘沙門堂はどんな理由で世界遺産に登録される予定なの?

達谷窟毘沙門堂
画像素材:写真AC

達谷窟毘沙門堂が評価されたのが、以下の点。

登録基準(ii)
中国や朝鮮半島から伝来した仏教が、12世紀に浄土思想として、日本古来の自然崇拝と融合し、平泉で花開いたという点。

登録基準(vi)
平泉には浄土(仏国土)を空間的に演出した建築物や庭園の理念が存在したという点。

世界遺産マニアの結論と感想

達谷窟毘沙門堂は、坂上田村麻呂が残っていて、浄土思想と深く関連する平泉とは関係のないように見えますが、奥州藤原氏初代清衡公・二代基衡公にもゆかりがあったということもあり、平泉を中心とした文化的景観として評価されています。

ちなみに、磨崖仏は大日如来とする説があるものの、公式HPによると寺院としては、戦死者追善の伝説から阿弥陀仏と考えるのが正しいとのこと。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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