岩手の世界文化遺産「平泉―仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群―」とは?世界遺産マニアが解説

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登録区分文化遺産
登録基準(2), (6)
登録年2011年

岩手県南部にある平泉といえば、中尊寺金色堂で有名ですが、このあたり一帯が世界文化遺産に登録されていることで有名ですね。ところで、平泉はなぜ世界遺産に登録されているのでしょうか?意外と知ってそうで知らない!

ここでは、今回は平泉がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、平泉について詳しくなること間違なし!

目次

世界遺産・平泉とは?なぜ評価されたのかを簡単に解説!

画像素材:写真AC

一般的に「平泉」というと岩手県南部の平泉町のこと。ここにはかつて「死後にあの世に行くことで成仏できる」という浄土思想を空間的に表現した都があった場所です。それが12世紀に奥州藤原氏の都であった平泉。現在は平泉を代表する寺院である中尊寺は現存しているのですが、かつて点在していた寺院や庭園などはほとんど残っていません。

平泉はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

画像素材:写真AC

平泉が評価されたのは以下の点。

登録基準(ii)
中国や朝鮮半島から伝来した仏教が、12世紀に浄土思想として、日本古来の自然崇拝と融合し、平泉で花開いたという点。

登録基準(vi)
ここには浄土(仏国土)を空間的に演出した建築物や庭園の理念があったという点。

の2つ。つまり、

「平泉は人間の死後にたどり着く”あの世”を見事に表現していて、その建築様式や思想が現在も続いているからすごい!」

ということですね。実際に登録されているのは、藤原清衡をはじめとする奥州藤原氏三代によって作り出された寺院と庭園跡、金鶏山を含む5つの資産で構成されています。

・中尊寺
・毛越寺
・観自在王院
・無量光院
・金鶏山

4つの寺院は、それぞれ仏国土(浄土)を表現した庭園を備えていたもの。それでは、ひとつひとつ解説していきましょう。

平泉の構成遺産をご紹介

1、中尊寺

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奥州藤原氏の初代、藤原清衡が平泉を造営する際に建立した寺院です。1124年に建築された、金色に光る阿弥陀堂があることで有名。詳しく解説すると、方三間という阿弥陀如来の仏国土(浄上)を表す仏道建築で作られています。ちなみに、「阿弥陀堂建築」の中では国内最古の寺院。

阿弥陀堂は、中央壇と右壇、左壇共に阿弥陀三尊像を中心に、合計11体の仏像から構成されています。どれも金箔が貼られており、豪華絢爛な姿はまさに極楽浄土を表すもの。ちなみに仏堂ではありますが、堂内の須弥壇には、藤原四代のミイラが納められています。中央壇にある棺が藤原清衡で、その横に息子の基衡、孫の秀衡の棺があり、さらにひ孫の秦衡の首級が置かれていました。

2、毛越寺

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2代の基衡が造営した寺院跡。中尊寺は原型が残っているのに対し、ここは度重なる災禍によるほとんどの建築物が残っていません。しかし、かつては40以上の堂宇(屋根を持つ建物)と500を超える禅坊があったとされるほど、広大な寺院でした。

何も残っていないといっても過言ではないのですが、実は遣水という池に水を引き入れる水路が残っており、これは平安時代のものとしては日本最大級。

3、観自在王院

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2代の基衡の妻によって建立された寺院跡。毛越寺の隣にあり、阿弥陀堂が点在していた庭園は、背後にある金鶏山と一体になっていて、浄土を表す庭園でした。

しかし、1573年に伽藍は消失。現在は建築物はほぼ残っておらず、公園のようになっています。池があった位置だけは現在でも判明しているので、当時の区画が少し分かる程度。

4、無量光院

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12世紀に建築された、宇治の平等院阿弥陀堂(鳳風堂)をモデルにした立派な阿弥陀堂があったとされます。奥州市の「えさし藤原の郷」に再現された無量光院もあるのですが、おそらく本堂の規模は宇治の鳳凰堂と同じ大きさであったと推定。建物の西側に金鶏山があり、夕方になると夕日が本堂の背後に沈んでいくとように配置されていました。

現在は阿弥陀堂は残っておらず、遺構から位置が分かる程度。ただ現在でも金鶏山の山頂に沈む夕日が見られるので、当時の秀衡が見た風景を今でも眺めることが可能です。

5、金鶏山

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標高98.6mの小さな山ですが、実は平泉にとっては重要な役割を担っていたのです。平泉に建造された寺院は常に、この金鶏山との位置関係が重視されました。各寺院で建造された庭園では、仏国土(浄土)を空間に表すデザインがで造れたため、金鶏山を景観に必ず入るようにしていたのです。

ちなみに、金慶安の登山口の入口には、千手堂という小さなお堂があり、ここに源義経の妻子のものと伝えられる墓があります。義経の妻といっても有名な静御前ではなく、こちらは正妻の郷御前。

番外編:衣川館

無量光院の先の小高い丘に位置する衣川館は源義経の最期の場所とされています。1189年に、奥州藤原氏4代目、泰衡によって襲撃され、彼がここで自害をしたと伝わる場所。

そして江戸時代になると、松尾場所が訪れ、『夏草や 兵共が 夢の跡』と詠んだことでも知られます。残念ながら、日本では有名な場所であるものの、推薦物件ではあったものの、世界遺産としては評価されずに登録されていません。その周囲にある柳之御所遺跡も推薦物件にも含まれていたのですが、これも除外されてしまいました。

世界遺産マニアの結論と感想

画像素材:写真AC

平泉は日本の世界遺産でも、分かりづらいカテゴリーに含まれるほうで、中尊寺以外の建築物はほとんど形が残っていないので、中尊寺だけが世界遺産って思っている人もいるかもしれません…。

ただ大事なのは、平泉の各寺では、浄土思想をこの世に体現したということもあって、区画や現存した遺物などを見ると、かなりスケールの大きな都だったと実感するでしょう。

ちなみにですが、平泉の町の周囲にはまだまだ遺跡がたくさん残っていて、拡大登録を目指しているのです。構成遺産の番外編で紹介した「柳之御所遺跡」や、坂上田村麻呂の伝説が残る「達谷窟」、「白鳥舘遺跡」、「長者ヶ原廃寺跡」などもあります。まだまだ拡大する可能性がある平泉にこれからも注目ですね!

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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