登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (6) |
登録年 | 2006年 |
モーリシャス島の北西にある首都ポートルイス。1834年に奴隷の代わりに「契約移民労働」という新たな労働力を導入するための実験場としてこの島が選ばれ、1834年から1920年まで約50万人の人々がここから島のプランテーション、そして、アフリカやカリブ海に移送されました。アープラヴァシ・ガードは「移民発着所」という意味で、その倉庫や病院などが世界遺産に登録。
ここではアープラヴァシ・ガートがなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、アープラヴァシ・ガートについて詳しくなること間違いなし!
アープラヴァシ・ガートとは?
ポート・ルイスはモーリシャスの首都であり、トルー・ファンファロン港の近くに位置するのが、ヒンディー語で「移民発着所」などを意味するアープラヴァシ・ガート。1834年に英国で奴隷制が廃止されると、世界各地のプランテーションでは労働者が不足になり、「クーリー」と呼ばれる労働移民を中心にインドから多くの労働者を受け入れるという、新しい労働の実験場としてこの地が選ばれました。ここは1840年代から50万人もの労働者が訪れ、彼らは島内の砂糖農園だけでなく、南アフリカ、カリブ海に送られていったとされます。
世界遺産としては、移民局が設立した倉庫や病院、牢獄などが登録。ここはもともとクーリー・ガート(ヒンドゥー教における沐浴や葬礼の場)と呼ばれていましたが、1970年代にクーリーは差別的な意味があるとされ、「アープラヴァシ・ガード」に解消されました。アープラヴァシ・ガードでは、男性や女性、子どもたちが出身地を離れ、バラバラに世界へと移送され、その後、世界各地で彼らの伝統や価値観が広まるという、グローバル経済の最初期とも言える19世紀の契約移民労働の証拠がみられます。
アープラヴァシ・ガートはどんな理由で世界遺産に登録されているの?
アープラヴァシ・ガートが評価されたのが、以下の点。
登録基準(vi)
アープラヴァシ・ガートは1834年に英国政府によって、奴隷制から契約移民労働へと移行する実験場所として最初に選ばれた場所であり、ここではインドを中心に50万人近くの労働者の労働者が訪れ、彼らは砂糖農園に送られるだけでなく、世界各地へと送られていったという記憶に強く関連するという点。
世界遺産マニアの結論と感想
アープラヴァシ・ガートは、建物そのものの価値としては高くないものの、奴隷制度が廃止されたことから、インドから多くの労働者が移送され、ここで一度集めて島内の砂糖農園だけでなく、世界へと移送されていくという契約移民労働の実験場であり、その記憶を残すという点で世界遺産に登録されました。
ちなみに、現在のモーリシャスはこの時の労働者の末裔が全人口の68%も占めるというほどにインド人社会となり、初代大統領のシウサガル・ラングーラムもインド系移民の出身でもあります。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。