中国の世界遺産「平遥古城」とは?世界遺産マニアが解説

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登録区分文化遺産
登録基準(2),(3),(4)
登録年1997年

中国中央部の山西省の平遥(へいよう)は、紀元前8世紀に遡る歴史を持ちますが、現在の町並みは14世紀の明代に改築・拡張され、城壁内には明代や清代に作られた建造物が並び、保存状態も良好。これらは街路や役所、民家だけでなく、「日昇昌」と呼ばれる、当時の中国でも最大規模の金融機関であった建物も含まれています。

ここでは平遥古城がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、平遥古城について詳しくなること間違いなし!

目次

平遥古城とは?

平遥古城
画像素材:shutterstock

山西省晋中市平遥県にある平遥は、清の時代に金融業の中心地として繁栄した都市。町は約6.4kmにもなる城壁で囲まれていて、これは紀元前8世紀の周の時代に遡るもの。ここは古くから商業で繁栄した町で、特に山西商人という商人によって富が築かれ、現在の建造物群は14世紀の明代に改築・拡張されたもの。約4000軒の店舗や伝統的な民家は当時の姿を今に残ります。

平遥は19世紀から20世紀初頭にかけて「日昇昌」と呼ばれる、当時の中国でも最大規模の金融機関が存在し、町は中国最大の金融センターでもありました。しかし、中華民国が成立すると債権が回収できなかったため、町は大幅に衰退。そのため、再開発が行われないまま残されたのです。

平遥古城
Aine Hickey(Wikimedia Commons)

平遥の南西部にある双林寺(そうりんじ)は6世紀に創建され、明と清の時代に制作された2000点を越える塑像は、「彩色塑像の東洋の美術館」として知られるほど。北東部に位置する鎮国寺は10世紀創建の寺院で、万仏殿は中国で最も古い木造建築物の一つ。両方とも合わせて世界遺産に登録されています。

平遥古城はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

平遥古城
画像素材:shutterstock

平遥古城が評価されたのが、以下の点。

登録基準(ii)
平遥古城は、中国各地から訪れたさまざまな地域の人々や他民族により、5世紀に渡って中国の建築様式と都市計画の発展が見られるという点。

登録基準(iii)
平遥古城は、19世紀から20世紀初頭まで中国の金融センターであり、市内に残る商店や民家は経済的な繁栄を示すものであるということ。

登録基準(iv)
平遥古城は、明から清の時代、14〜20世紀ににかけて築かれた漢民族の都市をそのまま残すもので、細かい点まで保存されているという点。

世界遺産マニアの結論と感想

平遥古城は、山西商人の拠点というだけあって、多くの人々の交流があり、ここは中国の金融センターとなるほどに発展し、現在残る伝統的な建築物は明から清にいたるまで当時の漢民族の都市をそのまま綺麗に残しているという点で評価されています。

ちなみに、山西商人が中国各地で多く拡大した理由は、通商で儲けると彼らは金融業へと進出したため、清の時代には票号と呼ばれる為替で大儲けするようになったのです。ここは三国志で有名な関羽の故郷とされていて、山西商人は同郷の英雄である関羽をまつる関帝廟を中国や周辺国家など、彼らの拠点に多く築きました。横浜の中華街でもお馴染みですね。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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