登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (3), (4), (6) |
登録年 | 2019年 |
ブルキナファソ北西部に位置するドゥルラの遺跡は紀元前8世紀から既に製鉄技術が発展していたことを示し、さまざまなエリアにまたがる5つの構成資産には、11〜20世紀に築かれた直立型の自然通風炉や溶解炉、鉱山、住居の跡が含まれています。現在この地では製鉄産業は行われていないものの、村の鍛冶屋は道具を供給するという役割があり、彼らは儀式に参加するという伝統が今でも残るというのが特徴。
ここではブルキナファソの古代製鉄遺跡群がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ブルキナファソの古代製鉄遺跡群について詳しくなること間違いなし!
ブルキナファソの古代製鉄遺跡群とは?
ブルキナファソのさまざまな州では、かつて製鉄生産が行われていて、サヘル地帯(サハラ砂漠南部に広がる半乾燥地域)における植民地化以前の社会に与えた影響を証明する合計で5つの構成資産が残ります。特にドゥルラの遺跡は、紀元前8世紀に遡るほどに古く、ブルキナファソでも最も古い鉄生産の証拠でもあり、これはアフリカで確認できる中でも最初期の製鉄業の発展を示すもの。
他にもティウェガ、ヤマネ、キンディボ、ベクイの遺跡も含めて、約15基の直立型の自然通風炉や溶解炉、鉱山、住居の跡が含まれています。これらは西アフリカが発展していく11〜20世紀の間に製鉄が普及していったことを証明するもの。現在はこのエリアでは鉄生産は行われていないのですが、鍛冶屋や金属に関する技術者たちの子孫たちは道具の供給するという役割があり、さまざまな儀式に参加することから、その伝統と結びついています。
ブルキナファソの古代製鉄遺跡群はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
ブルキナファソの古代製鉄遺跡群が評価されたのが、以下の点。
登録基準(iii)
古代の製鉄にまつわる遺跡は、鉄鉱石の精錬伝統を示す証拠であり、ブルキナファソの共同体における技術や文化を伝えるもの。ドゥルラは、アフリカにおける製鉄産業の第1段階であり、既に紀元前500年頃に製鉄技術が普及し、11〜20世紀にティウェガ、ヤマネ、キンディボ、ベクイのサヘル地帯における鉄の大規模な生産を示しているという点。
登録基準(iv)
古代の製鉄遺跡は、ブルキナファソの伝統的な鉄鉱石の多様な精錬技術を示すもので、直立型の自然通風炉は保存状態がよく、スラグの集合体や採掘の跡など、現在でも見られる伝統的技術に関連しています。非常に古くから存在する技術で、アフリカの歴史においては重要な影響を与えたということ。
登録基準(vi)
ブルキナファソの古代製鉄遺跡群は、現在の鍛冶屋や金属に関する技術者たちの子孫たちに残された伝統と直接結びついています。ティウェガ、ヤマネ、キンディボ、ベクイに住む鍛冶屋は火と鉄の達人として、重要な役割である祖先の儀式と社会的慣習を行っていて、彼らによって伝統を永続させているという点。
世界遺産マニアの結論と感想
ブルキナファソに点在する古代製鉄遺跡は、紀元前8世紀というアフリカで最初期の製鉄技術の跡が見られ、ここには20世紀にいたるまで製鉄の技術が磨かれてきたという証拠が残っていて、現在でもこの地に住む鍛冶屋は儀式や慣習があることから、その伝統が生きているという点で評価されています。
ちなみに、現在のブルキナファソは製鉄よりも、金の採掘のほうが主要な産業となっていて、年々投資が行われ、外国籍企業も多く進出しています。11世紀以前には黄金の採掘が行われていて、世界遺産でもある「ロロペニの遺跡群」は黄金で繁栄した都市の遺跡として評価。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。