中国の世界遺産「良渚古城遺跡」とは?世界遺産マニアが解説

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登録区分文化遺産
登録基準(3), (4)
登録年2019年

長江の河口流域に位置する良渚(りょうしょ)古城遺跡は、紀元前3300〜2300年に新石器時代の稲作を基盤とした都市国家の中心であった場所。ここは瑶山(ようざん)遺跡、2つのダム、都市遺跡の4つのエリアで構成され、敷地内の墓地からは社会階層によって異なる埋葬方法が見られることから、これらは小さな集落から階級社会による都市国家への移行を示すもの。

ここでは良渚古城遺跡がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、良渚古城遺跡について詳しくなること間違いなし!

目次

良渚古城遺跡とは?

良渚古城遺跡
画像素材:shutterstock

良渚古城遺跡は、中国南東部の浙江省の省都・杭州の郊外に位置しています。ここは紀元前3300〜2300年に長江下流域で繁栄した良渚文化に属するもので、平野に築かれた長江文明初期の都市国家の形跡が残る地。遺跡は中国における新石器時代後期に存在した、稲作を基盤とした国家の信仰と権力の中心地であったと考えられています。

ここは西から谷の入り口にあるダム、山の手の土手裏にあるダム、都市遺跡、瑶山遺跡の4つのエリアで構成されています。中国最古とされる複雑な水管理施設や階級ごとに埋葬された墓地、そして、遺跡からは翡翠の工芸品が多く発見。都市の構造は、良渚文化の集落の特徴を示し、宮殿を取り囲むように築かれた城郭都市で、中国でも最古級の都市遺跡でもあります。

良渚古城遺跡はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

良渚古城遺跡
画像素材:shutterstock

良渚古城遺跡が評価されたのが、以下の点。

登録基準(iii)
良渚古城遺跡は、稲作を基盤とした、良渚文化の権力と信仰の中心地で、社会階級が分かれていた初期の都市国家の形跡が残り、ここは中国における新石器時代後期から初期の青銅器時代における社会や政治、文化が成熟していたという証拠が残るという点。

登録基準(iv)
良渚古城遺跡で見られる都市設計や身分制度が分かる墳墓などからは、都市国家としての階級、儀式、文化などの社会構造が見られ、5000年以上前の初期都市国家の姿が分かるということ。

世界遺産マニアの結論と感想

良渚文化は20世紀後半になって研究が始まった長江文明に属するため、まだまだ不明な点がありますが、良渚古城遺跡は長江文明の中でも最初期ともされる稲作を中心とした初期都市国家の存在が確認できるもの。ここからは宮殿や墓、翡翠を使った工芸品など、社会階級が分かるものが発見され、小さな集落から国家へと移行した形跡が見られるという点で評価されています。

ちなみに、良渚文明は洪水で崩壊し、この地で暮らした人々の一部が北上して黄河文明へと移行し、中国最古の王朝である「夏」を作り出したと考える学者もいます。日本の歴史の授業でも「黄河文明から中国の歴史が始まった」と教えられてきましたが、実際は長江文明のほうが古いという可能性もある上に、他にも甲骨文字が発掘された年代よりも古い記号も見つかっていて…中国の先史時代は年々アップデートされているのです。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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