登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (1),(3) |
登録年 | 2014年 |
モンゴル各地には「鹿石」と呼ばれる鹿の絵柄で覆われた石柱が1200も点在しています。これは青銅器時代の遊牧民によって制作されたもので、当時この地で発展した文明の痕跡を残すもの。
ここでは鹿石および青銅器時代の関連遺跡群が、なぜ世界遺産なのか?世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、鹿石および青銅器時代の関連遺跡群について詳しくなること間違いなし!
鹿石および青銅器時代の関連遺跡群とは?
モンゴル北部のフブスグル県と中央部のアルハンガイ県には、3つの青銅器時代の遺跡があります。ここでは、ヘレクスルと呼ばれる積石塚(つみいしづか)や彫刻などが現存しますが、その中でもシンボル的存在が「鹿石」。鹿石とは、高さ1〜4m、幅30〜80cmほどの石造の記念碑で、鹿が描かれていることからこの名が付けられています。
鹿石に描かれている鹿は天へ向かっているようなデザインが多く、弓や盾、ナイフなども刻まれていることもあります。これが何を示しているかははっきりとしはしていませんが、鹿石の下には人骨などが発見されておらず、周囲にはストーンヘンジのように石が並べられているものもあることから、ここでは遊牧民のシャーマンによる何かしらの儀式が行われていた様子。
鹿石の起源は青銅器時代中期のモンゴルの中央部であったとされ、後にモンゴル全体に広がり、現在では約1200もの鹿石が発見されています。その中でもフブスグル県の「オーシギン・ウブリーン遺跡」は、紀元前2000年〜紀元前1500年ころの青銅器時代のものと推測され、30基の鹿石だけでなく、人面の石柱もあったりと非常に珍しいもの。
これらは遊牧民によって3000年以上前から発展させてきた独自の文化と儀式の様子が分かるもので、草原における遊牧民たちの芸術作品ともいえるでしょう。
鹿石および青銅器時代の関連遺跡群はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
鹿石および青銅器時代の関連遺跡群が評価されたのが、以下の点。
登録基準(i)
モンゴルの青銅器時代の遺跡には、抽象的に鹿が描かれた傑作であり、当時モンゴル平原や中央アジアで広がった建築様式で、石柱全体に鹿のデザインで覆われた興味深い彫刻であるという天。
登録基準(iii)
鹿石を含む遺跡は、中央アジアの青銅器時代の遊牧民の宗教や儀式、葬祭の習慣など、紀元前3000年期から紀元前2000年期にかけてゆっくりと発展していき、消滅したもので、中央・北東アジアの古代文明の研究においても重要な資料であるということ。
世界遺産マニアの結論と感想
モンゴルに残る鹿石と青銅器時代の遺跡は、中央アジアや北東アジアの青銅器時代の文化や暮らしが分かるもので、まだまだ不明な点があるものの、当時の遊牧民の文明が分かるという貴重な資料であることから評価されています。
ちなみに、へレクスルとは、モンゴル語で「キルギス人の骨(ヒルギス・フール)」を意味していて、これは19世紀にロシア人研究家の聞き間違えで誕生した造語で、現代のキルギス人とは何も関係ありません…。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。