登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (2), (4) |
登録年 | 2004年 |
モロッコの沿岸部にあるアル・ジャディーダは、16世紀にポルトガルによって要塞が建造された「マサガン」と呼ばれる城塞都市が起源。ここは18世紀まではポルトガル領で、ルネサンス様式の城塞に、ポルトガル独自のマヌエル様式の聖母被昇天聖堂など、ヨーロッパとモロッコの文化の交流が見られる都市計画が見られます。
ここではマサガン(アル・ジャディーダ)のポルトガル様式市街がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、アル・ジャディーダについて詳しくなること間違いなし!
マサガン(アル・ジャディーダ)のポルトガル様式市街とは?
アル・ジャディーダは、モロッコ最大の都市カサブランカから南西へ約90kmの位置する都市。かつてはマサガンと呼ばれ、ここは大航海時代にポルトガル人探検家がインドへ向かう途中の経由地として16世紀に建造された植民都市の一つ。最初に城塞が築かれ、やがて旧市街を囲むような星型の要塞となり、これは当時流行したルネサンスという新しい建築概念をポルトガルの技術によって実現されたもの。
ここはインド交易の中継地として繁栄したものの、1769年にポルトガル人が撤退すると、19世紀半ばにモロッコ人によって修復され、「アル・ジャディーダ(新しいもの)」と名付けられました。その後イスラム教徒だけなく、19世紀後半にはユダヤ人を受け入れ、商業の中心地となり、20世紀はフランスの保護領となった後、モロッコが独立したこともあり、さまざまな文化を取り入れてきました。
現在の旧市街はポルトガルによって建造された城塞で囲まれていて、内部には貯水池や砦などを含めてポルトガル時代の歴史的な建造物がよく保存されています。特に、16世紀初頭に建造された、マヌエル様式(15世紀後半から16世紀にポルトガルで流行した建築様式)の「聖母被昇天聖堂」はかつての教区教会で、16世紀に要塞が拡張された際に建造が始まり、身廊や聖具室、四角い鐘楼などが今でも現存。
マサガン(アル・ジャディーダ)のポルトガル様式市街はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
アル・ジャディーダが評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
マサガン(アル・ジャディーダ)は、16〜18世紀にかけてヨーロッパとモロッコの文化の交差点であり、ここはポルトガル探検家の最初の入植地であり、アフリカのインド航路上にある中継地であるため、これらの影響は建築物や都市計画に反映されているという点。
登録基準(iv)
マサガン(アル・ジャディーダ)は、ポルトガルの要塞都市の傑出した例であり、ポルトガルの建築技術とルネサンス期の新しい建築概念が見られる最初期の都市の一つで、16世紀のマリエル様式の貯水池と聖母被昇天教会などが残っているということ。
世界遺産マニアの結論と感想
アル・ジャディーダはかつてマサガンと呼ばれ、ポルトガルがインド航路を開拓する上で重要な要塞都市であり、ルネサンスの建築概念にポルトガルの技術による独特な旧市街が形成され、さらにイスラム教徒であるモロッコ人やフランスによって支配された時期もあり、ヨーロッパとモロッコの文化の交流も見られるという点で評価されています。
ちなみに、アル・ジャディーダの都市としての起源は16世紀ではありますが、ここは古来から多くの探検家が町の存在を確認していて、紀元前5世紀のカルタゴの航海者ハンノがこの地を冒険していて言及しているほど。彼は現在のコートジボワールまで航海したというから驚きですね。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。