登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (2),(3),(4) |
登録年 | 1986年 |
インド北部に位置するファテープル・シークリーは「勝利の都市」という意味で、ここは16世紀後半にムガル帝国の3代皇帝アクバルによって建設された都市。水不足と酷暑のため、わずか14年で遷都となりましたが、宮廷地区とモスク地区は幾何学的な都市計画で設立されたもの。特にモスク地区に残る「ブランド・ダルワーザー」は凱旋門のような存在で高さは41mにもなるほど。
ここではファテープル・シークリーがなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ファテープル・シークリーについて詳しくなること間違いなし!
ファテープル・シークリーとは?
インド北部ウッタル・プラデーシュ州の最大都市アーグラから西へ約40kmの位置するファテープル・シークリー。ここはムガル帝国の3代皇帝アクバル(1542〜1605年)によって1571〜1573年にかけて設立されました。ファテープル・シークリーとは、現在のクジャラード州に存在した国との戦争で勝利したことを記念して「勝利の都市」と名付けられたもの。
ここは9つの門を持つ約6kmの壁で囲まれていて、宮殿や謁見の間など、皇帝にまつわる建造物が並ぶ「宮廷地区」と、モスクや霊廟などが並ぶ「モスク地区」の2つに分けられています。ここはインドにおけるイスラム様式の建造物が多く見られるのと同時に幾何学的な都市計画で建設され、排水路なども備えた水管理システムが存在しました。しかし、深刻な水不足と酷暑のため、わずか14年で現在のパキスタン北部に位置するラホールへと首都機能は移転してしまいます。
宮廷地区
ファテープル・シークリーの中心部に位置する行政区。ここには「ディワーネ・ハース」と呼ばれる、国民が王に謁見するための施設があり、広大な中庭も併設されています。他にも皇帝が涼むために建造された、5層の「パーンチ・マハル」は壁のない構造で、ここでは遊戯なども行われていました。
モスク地区
宮廷地区の南西部に位置するイスラム建築が多く並ぶエリア。ここにはイスラム建築とインドの建築様式が融合した「ジャーマー・マスジド(金曜モスク)」があります。マスジドは1580〜1581年に完成し、次代の皇帝ジャハンギールによって装飾が加えられた傑作。モスク地区を囲む城壁の南門でもある「ブランド・ダルワーザー」は高さ41mを誇り、「偉大なる門」という意味だけあって、アクバル全盛期の記念碑的建造物。
ファテープル・シークリーはどんな理由で世界遺産に登録されているの?
ファテープル・シークリーが評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
ファテープル・シークリーは、ムガル帝国時代の都市計画の発展が見られ、後に首都となるオールド・デリーの都市計画にも影響を与えたという点。
登録基準(iii)
ファテープル・シークリーは、16世紀末のムガル帝国の繁栄を示すということ。
登録基準(iv)
ファテープル・シークリーは、1571年から1585年まで建造された完成度の高い建造物の集合体であるという点。
世界遺産マニアの結論と感想
ファテープル・シークリーは、ムガル帝国を拡大させたアクバル帝が首都として設立したこともあり、都市はインドの建築様式にイスラム建築を融合させた美しい建造物が見られ、後に帝国内で大いに発展するオールド・デリーの都市計画に影響を与えたという点で評価されています。
ちなみに、アクバルがこの地を選んだのは、もともとイスラムの聖者であるサリーム・チシュティーが住んでいたことから。後継者のいなかったアクバルはサリームに相談すると、息子を授かるだろうと予言しました。その予言は見事に的中し、それを記念して彼はここに都市を築いたという経緯があり、アクバルはあまりにも感謝したためか、サリームの霊廟は大理石で築かれ、すごく豪華。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。