セネガルの世界遺産「ゴレ島」とは?世界遺産マニアが解説

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登録区分文化遺産
登録基準(6)
登録年1978年

セネガルの首都ダカールの沖合にある小さな島、ゴレ島。今はのどかな島ですが、ここには15〜19世紀にかけてアフリカ沿岸最大の奴隷貿易の拠点でした。「奴隷の家」など、カラフルな家々が残っており、現在でもその名残が残っています。ここは「負の世界遺産」として人類の忘れていけない記憶が残る場所。

ここでは、ゴレ島がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ゴレ島について詳しくなること間違いなし!

目次

ゴレ島とは?

画像素材:shutterstock

セネガル沿岸にある首都ダカールから3.5km離れた小さな島は、かつて人類史上、前例のないほどの奴隷貿易が行われた地でもあります。

ゴレ島は、アフリカの最西端に位置し、南北の航路の中心でもある上に、船を停泊する経由地としても優れていたので、奴隷市場としては非常に価値が高かったのです。ゴレ島は「三角貿易」の基点となり、ヨーロッパ諸国はアフリカで武器や綿製品などを売り、そこで得た奴隷をアメリカ大陸に売ることで、砂糖や綿などを得ていました。

島は15世紀にはポルトガル人が到達すると、17世紀にはオランダによって占領されます。その後、イギリスとフランスが激しい争いが続きますが、18世紀にはフランスが支配するようになりました。1815年にナポレオンが奴隷貿易を廃止するまで島は「奴隷の家」などが並ぶ、まさに「奴隷の倉庫」と呼ばれる場所でもありました。その後商業の中心はダカールへと移動し、1960年にセネガルが独立すると1978年には世界遺産となりました。

画像素材:shutterstock

奴隷の家は、2階に奴隷商人が住み、1階は奴隷たちの収容所という構造でした。最大で20人ほど詰め込むことができたといいます。島の北端には「エストレ要塞」と呼ばれる堅固な要塞があり、南端には砦や砲台なども残されています。

島の建築物は老朽化が激しいですが、奴隷の家は博物館として現在も保存。現在のゴレ島は、さまざまな民族を越え、人類が反省すべき記憶として残されています。

ゴレ島はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

画像素材:shutterstock

ゴレ島が評価されたのが、以下の点。

登録基準(vi)
ゴレ島には、人類史の中でも悲劇の歴史の1つである奴隷貿易の記憶が残る場所であるという点。

世界遺産マニアの結論と感想

人類の歴史にとって汚点でもある奴隷貿易の全貌がよく分かる史跡が残るということから評価されています。ユネスコは「負の遺産」というカテゴリーは正式には認めていませんが、1978年に初めて登録された世界遺産リストの中に含まれているということを考えると、人類にとって忘れてはいけない記憶が残る場所として重視していると考えられています。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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