登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (3), (4) |
登録年 | 2012年 |
コートジボワールの南東部の海岸沿いに位置するグラン・バッサムはコートジボワールの最初の首都であった町。ここは19世紀後半から20世紀初頭に築かれた植民都市の例であり、ヨーロッパからの入植者や地元の人々が暮らした商業・行政地区や住宅地などが残っています。町並みは植民地時代の複雑な社会や独立運動の時代の様子が残っているのが特徴。
ここではグラン・バッサムの歴史都市がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、グラン・バッサムについて詳しくなること間違いなし!
グラン・バッサムの歴史都市とは?
ガーナとの国境に近い南コモエ州の古都グラン・バッサム。ここはコモエ川の河口に位置していて、15世紀末からこの地で暮らすンズィマ人の集落があったとされています。19世紀になるとヨーロッパ諸国が争い、フランスによって要塞が建造されるとここは都市が築かれ、フランスの商人が訪れるようになります。1893年にフランス領象牙海岸植民地の首都となり、当時は経済と司法の中心地でもありました。20世紀になると遷都してしまいますが、ここは第二次世界大戦後までは主要な港街として繁栄。
ここは19世紀後半から20世紀初頭に築かれた植民都市の姿が現在でも見られ、歴史都市は細長い土地に築かれ、西からヨーロッパ人によるコロニアル建築が残る居住地区や行政地区、商業地区、漁村であるンズィマ人地区に分けられています。現地の気候に適応した植民地時代の建築物と都市計画が見られ、これらは植民地時代の複雑な社会を示し、独立運動の時代の様子が見られるのが特徴。
グラン・バッサムの歴史都市はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
グラン・バッサムが評価されたのが、以下の点。
登録基準(iii)
グラン・バッサムの歴史都市は、植民地時代の首都であり、行政と商業の中心地であったことを証明し、19世紀後半から1950年第までアフリカやヨーロッパ、中東から移民が集まり、それぞれの文化を調和した町並みが見られ、保存状態も良好であるという点。
登録基準(iv)
グラン・バッサムの周囲は緑豊かで、熱帯に適応し、機能的な建築物が並ぶ、合理的な植民都市の優れた例である一方、ンズィマ人が暮らす村の家屋は先住民の価値観も見られるということ。
世界遺産マニアの結論と感想
グラン・パッサムはかつてフランスの植民地時代の首都であり、さまざまな移民によって構成された町並みが見られ、これらは熱帯に適応したコロニアル建築物や先住民の伝統的な家屋が並ぶという点で評価されています。
ちなみに、世界遺産としては、他にもヌーヴォ・バッサム(北のバッサム)にある高さ17mの石造りの灯台も登録されています。これは1913〜1914年に建造された比較的新しい建造物ですが、この地が衰退すると廃れてしまい、1950年以降は使用されておらず、当時を偲ぶ遺構として登録されたもの。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。