登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (4) |
登録年 | 1993年 |
パラグアイ南部のパラナ川北岸には、レドゥクシオン(イエズス会伝道所)が多く残り、これらは17〜18世紀にイエズス会によって先住民のグアラニ族に布教するために設立した施設。世界遺産としては、18世紀の聖堂建築の傑作が残るラ・サンティシマ・トリニダー・デ・パラナ、未完成のまま放棄された聖堂のあるヘスース・デ・タバランゲの2つの遺跡が登録されています。
ここではラ・サンティシマ・トリニダー・デ・パラナとヘスース・デ・タバランゲのイエズス会伝道所群がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、2つのイエズス会伝道所群について詳しくなること間違いなし!
ラ・サンティシマ・トリニダー・デ・パラナとヘスース・デ・タバランゲのイエズス会伝道所群とは?
北はブラジル、南はアルゼンチンとの国境ともなっているパラナ川沿いには、17〜18世紀にかけてヨーロッパから伝道のために訪れたイエズス会によって設立したレドゥクシオン(伝道所)が30も並んでいたとされています。その中の7つはパラグアイにあり、ラ・サンティシマ・トリニダー・デ・パラナとヘスース・デ・タバランゲの2つのレドゥクシオンが世界遺産に登録。これらは先住民の伝統建築に、キリスト教やバロック様式、ロマネスク様式、ギリシャなどの建築要素が加えられたもの。
イエズス会は16世紀にこの地を訪れ、スペイン国王のフェリペ2世から許可を得て、先住民のグアラニ族を布教することを目的に1609年にこの地を譲渡されました。レドゥクシオンは、他の地域とは異なり、ヨーロッパの文化を強制することはなく、先住民の伝統が保たれつつ、名産品でもあるマテ茶の栽培などが奨励され、農業と工芸で大きな利益をもたらしました。しかし、1767年のイエズス会退去令の後はレドゥクシオンは放棄され、現在は遺跡として残存。ここには教会や神父たちの邸宅、グアラニ族たちの邸宅などがあり、大きな広場や庭、工房、墓地、刑務所なども置かれた広大な施設でした。
ラ・サンティシマ・トリニダー・デ・パラナ
「パラナの聖三位一体」という意味で、1706年建造と最も新しいレドゥクシオン。これらは最も保存状態が良いもの。ここは最大4000人も暮らしたとされ、教会や学校、墓地、台所、鐘楼、工房などが存在し、この地域の中心地でもありました。特にミラノ出身のイエズス会の建築家フアン・バウティスタ・プリモーリによって1706年に設計された「ラ・サンティシマ・トリニダ聖堂」は、キリスト教の建築とグアラニ族の芸術が融合したもの。
ヘスース・デ・タバランゲ
1685年に設立されたレドゥクシオンで、大広間に面して、教会や学校、孤児院が並び、司祭による果樹園など、自給自足で暮らすための設備も存在していました。建築物はさまざまな建築様式が見られ、イスラム建築の影響が見られるムデハル様式のアーチなども残存。ここは未完成のまま放棄されたために教会は土台のみ残っていて、パラグアイ政府によって修復がされ、当時の姿を取り戻しました。
ラ・サンティシマ・トリニダー・デ・パラナとヘスース・デ・タバランゲのイエズス会伝道所群はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
2つのイエズス会伝道所群が評価されたのが、以下の点。
登録基準(iv)
2つのイエズス会伝道所群は、17〜18世紀に建造されたレドゥクシオンの優れた例で、これらの建造物の遺構はキリスト教の布教の過程で先住民の文化を維持し続けたため、それぞれの文化の融合が見られるという点。
世界遺産マニアの結論と感想
ラ・サンティシマ・トリニダー・デ・パラナとヘスース・デ・タバランゲに位置するイエズス会伝道所は、この地域で建造されたレドゥクシオンの中でも保存状態も良く、現地のグアラニ族の文化が維持されつつも、キリスト教の布教によって、それぞれの文化と建築技術が融合されているという点で評価されています。
ちなみに、この2つの遺跡があるイタプア県は、パラグアイの中でも3番目に人口が多い自治体で、さまざまな移民団を受け入れてきたために「メルディング・ポット」とされるほどに多様な文化が今でも見られる場所。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。