登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (4) |
登録年 | 2023年 |
リトアニア中央部に位置するカウナスは、首都ヴィリニュスに次ぐ経済都市でもあります。ここは第一次世界大戦から第二次世界大戦まで、臨時首都であったことから、それまでの地方都市が急激に発展し、モダニズム建築が多く並ぶ都市へと変化したというのが特徴。
ここではモダニズム建築都市カウナス : 楽天主義の建築、1919年-1939年が、なぜ世界遺産なのか?世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、カウナスについて詳しくなること間違いなし!
モダニズム建築都市カウナス : 楽天主義の建築、1919年-1939年とは?
カウナスは、リトアニア第2の都市。1919年に首都ヴィリニュスがロシアに占領されると、ここは臨時首都になったほどに重要な都市でもありました。第二次世界大戦が始まる1939年まで、政府機関や博物館、大学、ホテル、工場、住宅、インフラ施設まで建設ラッシュとなり、人口も爆発的に増えたことから教会や銀行、学校などの施設も建設する必要もあったために、20年で合計で6000棟もの建造物が築かれたというほど。
特に1930年代はル・コルビュジエ、ヴァルター・グロピウス、ミース・ファン・デル・ローエなどによる近代建築運動が盛んな時期で、ちょうど建設ラッシュがこの時期と重なったこともあり、初期のモダニズム建築の影響が多く見られます。
もちろん、モダニズム建築は多く建造されたものの、19世紀からの都市区画はそのまま利用されていて、近代的な首都機能とインフラが集中して存在しているというのが特徴。そして、西欧で教育を受けた新世代の建築家たちは、モダニズムを追求するだけでなく、地元の建築様式も取り入れて発展させていきました。今でも街にはさまざまな建築物が並び、折衷的な建築様式から地元色の強いモダニズムへの発展の過程も見られます。
モダニズム建築都市カウナス : 楽天主義の建築、1919年-1939年はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
カウナスが評価されたのが、以下の点。
登録基準(iv)
カウナスの都市景観は、20年以内に形成されたモダニズム建築都市であり、ここは新たに首都を建設するために近代的な方法が多く実践され、それが独特な都市開発へと発展していったということ。
世界遺産マニアの結論と感想
カウナスは1919年に臨時首都となったことから、急激に人口が増え、モダニズム建築が多く並ぶ都市へと変化しましたが、機能的なモダニズムだけではなく、ローカル色も取り入れた建築物が並ぶという独特な都市開発が見られるという点で評価されています。
ちなみに、カウナスといえば、第二次世界大戦時に在カウナス日本領事館に領事代理として赴任していた杉原千畝が、ポーランドから逃げてきたユダヤ人にビザと渡航証明書を発給したというエピソードで有名。領事館であった建物は資料館となっています。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。