登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (3), (4) |
登録年 | 1986年 |
カミ遺跡はジンバブエ高原の西部にある石造りの遺跡群。13〜14世紀に栄えたグレート・ジンバブエ王国が15世紀半ばに放棄された後、トルワ国の拠点として栄えた都市でした。出土品からはヨーロッパや中国の陶磁器も発見されており、これはカミが当時の交易の中心地であったことを示しています。
ここでは、国史跡カミ遺跡群がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、カミ遺跡について詳しくなること間違いなし!
国史跡カミ遺跡群とは?
カミ遺跡は、ジンバブエ南西部のブラワヨ市から22kmの距離にある遺跡。通路の跡から遺跡の北側まで2kmほどの距離があるほどに広大で、カミはジンバブエで2番目の規模を誇る石造りの建造物群です。ここはグレート・ジンバブエ王国が崩壊した後、ロズウィ族が移り住み、15〜17世紀にかけて栄えたトルワ王朝の首都であった場所。この時期にヨーロッパからポルトガル人がやってきて、現地の人々と交流するように。19世紀にンデベレ人がカミを攻略した後は放棄されました。
遺跡には、グレートジンバブエ王国の技術を継承した石造りの建築物が多く残っています。カミではグレートジンバブエ王国の文化や建築技術が見られますが、これをより発展させものだと考えられています。首長の家は「マンボ」と呼ばれ、遺跡北側の丘にありました。町は外壁に囲まれており、花崗岩を直方体にして積み重ねたもの。人々は外壁の中で暮らしていて、家々が築かれ、迷路のような構造になっていました。
遺跡からは、ヨーロッパや北アフリカ、中国との交易が行われたという証拠も残っています。例えば、中国産の青磁や白磁、ポルトガルやスペイン、ドイツ製の陶磁器などが発掘。さらに、花崗岩の十字架も残っていて、これはポルトガルの宣教師が現地に伝えたものと考えられています。
国史跡カミ遺跡群はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
カミ遺跡が評価されたのが、以下の点。
登録基準(iii)
カミ遺跡そのものが、石器時代から鉄器時代へ、ジンバブエの歴史を繋ぐような証拠であるという点。
登録基準(iv)
遺跡の建築物は、人類の進化と環境への適応を証明していて、他国と交易をすることで都市が発展したということを示しているということ。
世界遺産マニアの結論と感想
カミ遺跡は、グレートジンバブエ王国からトルワ国へと国の中心が移ったという証拠を残す遺跡であり、ヨーロッパや中国などと交易を続けたことで、より文化が発展したということです。
とはいえ、グレートジンバブエと違って、神殿っぽさがあまりないので、神秘的なイメージはないかも?どちらかというとマチュピチュのような「秘境」的な感じがする遺跡ですね。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。