タンザニアの世界遺産「コンドアの岩絵遺跡群」とは?世界遺産マニアが解説

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登録区分文化遺産
登録基準(3), (6)
登録年2006年

タンザニアの中央部、グレート・リフト・バレー(アフリカの南北を縦断する巨大渓谷)の東斜面にある堆積岩によって形成された岩陰には、少なくとも2000年以上に渡って描かれてきた岩絵が多く存在します。総面積2336平方kmを越える敷地に150以上の岩窟住居があり、それぞれに岩絵が描かれました。これらは狩猟採集民から農牧民へと変化したことを示し、当時の人々の宗教や思想などが見られます。

ここではコンドアの岩絵遺跡群がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、コンドアについて詳しくなること間違いなし!

目次

コンドアの岩絵遺跡群とは?

コンドアの岩絵遺跡群
画像素材:Nina R(Wikimedeia Commmons)

タンザニア中央部のドドマ州コンドア地区にある岩絵が多く点在する遺跡があります。ここはグレート・リフト・バレーに隣接するマサイ岸の東側の一帯に位置し、堆積岩のスラブが突き出た岩陰には数千年に渡って岩絵が描かれてきました。岩絵は150以上もの岩窟住居に描かれていて、初期の赤絵と後期の白黒絵に分かれています。赤絵は年代は特定されていませんが、少なくとも2000年以上前に描かれ、動物や弓矢などの狩猟をモチーフにしていて、白黒絵には1500年ほど前にここで暮らしていた農牧民によって円や線、四角、点など幾何学的な模様が描かれていて、これらは家畜などをモチーフにしています。

岩絵群は数千年に渡って、この地で暮らす人々が狩猟から農牧畜へにいたる社会の変化が見られ、信仰などを含めた当時の暮らしが分かるもの。周辺に住む人々によって宗教儀式が今でも行われていて、岩絵は地元住民との結びつきも見られます。

コンドアの岩絵遺跡群はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

コンドアの岩絵遺跡群
画像素材:D. Tamino Boehm(Wikimedeia Commmons)

コンドアが評価されたのが、以下の点。

登録基準(iii)
コンドアの岩絵遺跡群は、数千年に渡ってこの地域で暮らしていた狩猟採集民と農耕民の生活を示し、中央アフリカから南部にいた狩猟採集民による芸術作品と、農牧民によるユニークな絵画が見られるという点。

登録基準(vi)
岩絵群では、雨乞いや占い、癒やしなど、さまざまな儀式が行われていて、今でもこの地域の人々によって利用されています。岩絵と人々の暮らしは結びついていて、これは文化的な繋がりを示しているということ。

世界遺産マニアの結論と感想

コンドアの岩絵遺跡群は、数千年に渡って広範囲に岩絵が描かれた地で、ここでは社会が狩猟採集から農牧へと移行したことを示し、今でも周辺の住民によって儀式が行われているなど、文化的な繋がりが見られるという点で評価されています。

ちなみに、ドドマ州の州都であるドドマは現在の実質的な首都であるダルエスサラームからの首都移転計画が1970年代から始まり、1990年代に立法府だけ移ったのですが、首都としての機能は移っていないというのが現状。よって、タンザニアの法律上の首都はドドマなのですが、首都機能はダルエスサラームにあるという不思議な構造になっています。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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