登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (3), (4) |
登録年 | 1985年 |
首都マドリードから北西へ約87kmの位置にあるアビラ。ここは11世紀にイスラム勢力から防衛するために建造された堅固な城壁と聖テレサという聖人の出身地であることから「城壁と聖人の町」として有名。現在でも城壁には87もの塔も残り、完成度の高いゴシック様式の大聖堂など、中世の雰囲気をそのまま残しています。
ここではアビラ旧市街と市壁外の教会群がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、アビラについて詳しくなること間違いなし!
アビラ旧市街と市壁外の教会群とは?
カスティーリャ・イ・レオン州のアビラ県の県都であるアビラは、ローマ帝国時代に起源を持つ街。8世紀にイスラム勢力に支配され、11世紀にカスティーリャ=レオン王アルフォンソ6世によって奪還されると、街を要塞化するために城壁を建造しました。現在も残る城壁は全長2.5km、高さは平均約12m、87の塔、9の門を持つ大城壁で9年の歳月をかけて完成。ほとんどの部分が12世紀に再建されたとされていますが、ここはスペインでも最も保存状態の良い城壁です。
城壁の東側には、大聖堂が付属するように建造され、古くから存在していたものの、イスラム勢力に破壊されたサン・ビセンテ聖堂も再建。街は16世紀に聖テレサらの修道院改革の中心地となったり、中世からルネサンスにかけて繁栄したものの、17世紀以降は徐々に衰退し、19世紀には大学が廃止。その影響もあり、街の建築物の保存状態は良好です。
登録されている主な構成遺産
大聖堂(カテドラル)
城壁の東側に位置する11世紀創建とされる大聖堂。ロマネスク様式とゴシック様式の両方の特徴を持ち、ここは大聖堂であるものの、要塞のような外観で2つの塔を備えています。スペインのゴシック様式の大聖堂のルーツ的な存在で、内部にはキリスト教関連の傑作が並ぶのが特徴。
サン・ビセンテ聖堂
城壁の北東に残る聖堂は11〜12世紀にアルフォンソ6世によって再建されたもの。ここは4世紀に聖ビサンテという人物が殉教したことから聖堂が建造されたものの、イスラム勢力がここを支配すると荒廃してしまいました。現在の聖堂はアルフォンス6世をイメージしたダビデ王の像や、使徒たちの彫像が並ぶロマネスク様式の門が見られます。
サン・ホセ修道院(ラス・マドレス修道院)
城壁外に建造された修道院で、ここはカルメル会の改革者であったアビラのテレサ(1515〜1582年)によって16世紀に禁欲的な生活をするために建造されたもの。修道院内にある教会は17世紀初期に建造され、ファサードはスペイン王フェリペ3世によって建造されたもので、このデザインは他のキリスト教関連の建築物のモチーフともなりました。
アビラ旧市街と市壁外の教会群はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
アビラが評価されたのが、以下の点。
登録基準(iii)
アビラの城壁は、中世の要塞都市の優れた例で、旧市街にはキリスト教や市民に関連する建造物が保存状態が良く、多く残っているということ。
登録基準(iv)
アビラは、トレドに続くレコンキスタが行われたカスティーリャ=レオン王国に築かれた要塞都市で有名なものであるという点。
世界遺産マニアの結論と感想
アビラは、イスラム勢力を牽制するためにレコンキスタの過程で築かれた要塞都市で、大聖堂や教会、城壁など、中世に築かれた建造物の保存状態が優れているという点で評価されています。
アビラの名物といえば、「サンタテレサの黄身(イエマス・デ・サンタ・テレサ)」と呼ばれる卵黄とシロップを混ぜて丸めたお菓子。修道院ではワインを作っていたため、ワインから不純物を取り除くために卵白を多く使用するので、卵黄が余ったことから開発されたとか。そして、アビラのテレサにあやかってその名が付けられたとされていますが、全くの無関係だそう。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。