登録区分 | 文化遺産(危機遺産2013年~) |
登録基準 | (1), (2), (4) |
登録年 | 1980年 |
シリア砂漠にあるパルミラは、ローマ帝国時代の大都市でシリアを代表する遺跡。ここは1〜2世紀にシルクロードの交易の拠点として繁栄し、この地で生まれた壮麗な建築様式や美しい芸術作品は、古代オリエントとギリシャ・ローマの文化の融合を示すもの。
ここでは、パルミラ遺跡がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、パルミラについて詳しくなること間違いなし!
パルミラ遺跡とは?ゼノビア女王はどんな存在だった?
パルミラは、シリア中央部にあるホムス県タドモルに位置する遺跡。首都ダマスカスから北東へ約215kmの位置にあるオアシス都市でした。名前の由来もギリシャ語でナツメヤシを意味する「パルマ」であり、かつてはナツメヤシが生い茂るオアシスであったとされています。
パルミラの歴史は古く、既に紀元前2000年には既に記録があったほど。都市として本格的には機能するのは1世紀にローマ帝国のシリア属州に組み込まれた時代。2世紀になると、南方にあった隊商都市ペトラがローマに征服されると、交易ルートがパルミラに移り、交易都市として大いに繁栄しました。
3世紀になると、パルミラの長官であったオダエナトゥスの妻・ゼノビアがパルミラ帝国として独立。2度の戦争を経て、最終的にローマ帝国に敗北してしまいます。その後、パルミラはローマ郡によって破壊。廃墟跡はやがて要塞として使用されるものの、パルミラは交易ルートから外され、それ以降の街はほぼ廃墟のまま存在しました。
やがてイスラム教徒が占領すると遺跡の上に街を建造。18世紀にイギリスの探検家がこの地を発見するころには遺跡の周囲に人々が住んでいました。そして、フランスに支配されるようになると、20世紀初頭に人々は遺跡の隣に移住し、それが現在のタドモルの町となっています。そして、遺跡には保存状態の良いローマ時代の建築物が点在していました。
危機遺産(危機にさらされている世界遺産リスト)
2013年にイスラム過激派組織ISIL (ISIS) がこの地でシリア軍と戦闘となりました。2015年にISILがタドモルを占領すると、遺跡は徹底的に破壊されてしまいます。2017年にシリア軍がタドモルを奪還するも、ほぼ廃墟となってしまったため、現在は修復を待っているという状況。
登録されている主な構成資産
ベル神殿(現在は破壊)
現在は破壊されてしまいましたが、この地域で崇拝されていた嵐と慈雨の神・ベルを祀った神殿。ここはオリエントの建築とギリシア・ローマ建築の融合を示すもので、コリント式の列柱が取り囲む壮麗な神殿だったと考えれらています。建造は32年ではありますが、東ローマ帝国時代はキリスト教会、イスラム勢力が支配した時代はモスクとして使用されていました。
バール・シャミン神殿(現在は破壊)
131年に建造された、天空神バールシャミンに捧げられた神殿。これもベル神殿と同じく、オリエントの建築とギリシア・ローマ建築を融合したもので、列柱はローマ風、窓の装飾などはオリエント風のデザインが見られます。5世紀にはキリスト教会として使用され、その遺構は21世紀まで存在していました。
凱旋門(現在は破壊)
列柱が並ぶメインストリートの先に築かれた壮麗な門。ここはローマ皇帝のセプティミウス・セウェルスの時代に築かれたもので、2世紀に着工し、3世紀に完成しました。門はローマ人が隣国のパルティアに勝利したことを記念にして築かれた凱旋門とされるのが通説。
パルミラ遺跡はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
パルミラが評価されたのが、以下の点。
登録基準(i)
オアシス都市として栄えたパルミラに残る建築物は、この地域の芸術の発展を示すものであるということ。
登録基準(ii)
17〜18世紀に探検家によって遺跡が発見されると、ヨーロッパの建築物にもパルミラの建築様式が取り入れられ、18世紀にヨーロッパで流行する古典主義建築の火付け役になったという点。
登録基準(iv)
神殿や列柱道路などはオリエント建築とギリシャ・ローマ建築の融合が見られ、独特で優れたデザインであるということ。
世界遺産マニアの結論と感想
パルミラは、ローマ帝国とパルティア(現在のイラン一帯を支配した帝国)の間にあったことから、オリエント世界とギリシャ・ローマ世界のそれぞれの文化がもたらされることによって建築様式が融合し、独特の建築物が見られるという点で評価。そして、遺跡の発見が18世紀のヨーロッパの建築様式にも大きく影響を与えたというのもポイント。
数ある世界遺産の中でも登録後、ここまで徹底的に破壊し尽くされたのは、アフガニスタンのバーミヤンの遺跡と肩を並べるほどでしょう。現在では各国で資料から3D画像や映像などで再現されているので、かつての繁栄した姿を眺めることができるものの、やはり本物の遺跡が復活する日が早く来ることを祈るばかりです。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。