オマーンの世界遺産「カルハットの都市遺跡」とは?世界遺産マニアが解説

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登録区分文化遺産
登録基準(2), (3)
登録年2018年

オマーンの東海岸に位置するカルハットは、11〜15世紀にかけて交易で発展したホルムズ王国の中心的な港でした。現在は霊廟がポツンと一つだけ残る遺跡となっていますが、ここで発見された遺物はかつてナツメヤシや馬、真珠などの交易で発展し、アフリカから東アジアまでさまざまな地域と交易があった港であるということを示しています。

ここではカルハットの都市遺跡がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、カルハットについて詳しくなること間違いなし!

目次

カルハットの都市遺跡とは?

画像素材:Richard Mortel(Wikimedeia Commmons)

オマーン北東部にある中心都市スールから北へ約20km。カルハットはかつてホルムズ王国(11世紀〜1622年)の中心的な港だった場所です。ホルムズ王国は、現在のホルムズ海峡からオマーン湾の沿岸と島々で構成していた国家で、現在のイランにあるバンダレ・アッバースとホルムズ島を中心に各国との交易で栄えた国家でした。

ここはかつてオマーン湾でも重要な港であり、アラビア半島からインドを結ぶ起点となり、遠くは東南アジアまで交易していました。カルハットは、ホルムズの王子たちが支配する地で、ナツメヤシや馬、真珠、香料などの取引で大いに繁栄。都市は二重の壁に囲まれていて、外側の壁の周囲には共同墓地が存在していました。しかし、ここは16世紀に海外進出を図っていたポルトガルによって攻撃された後に放棄され、それ以降は遺跡に。現在はビビ・マリヤム廟と呼ばれる建造物以外に残っているものは、ほぼ遺構のみ。

カルハットの都市遺跡はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

画像素材:shutterstock

カルハットが評価されたのが、以下の点。

登録基準(ii)
カルハットの都市遺跡は、インドや中国、東南アジアまで交流があり、ここはナツメヤシや馬、真珠などを輸出していたということを示すだけでなく、他の国からもたらされた文化を受け入れてきた国際都市の特徴を持っているという点。

登録基準(iii)
カルハットは王国の第2の都市であり、王子たちの宮殿があったことから、遺構にはホルムズ王国の都市計画を残して、かつて繁栄した貿易拠点としての特徴などを示しているということ。

世界遺産マニアの結論と感想

現在は霊廟だけが残されたカルハットですが、その遺構からはホルムズ王国の交易都市の特徴を残していて、建築物などからは中国やアフリカと交易が盛んだった異文化交流が見られる国際都市の跡を残すという点で評価されています。

ちなみに、カルハットは今は廃墟となっていますが、マルコ・ポーロやイブン・バットゥータ、鄭和など、有名な冒険家がここを訪れたことから、割と記録が残っていて、当時の記録と遺構が一致するというのも特徴。冒険者たちの日記が役に立った良い例ということで、先人たちの冒険心に感謝ですね。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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