登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (2), (3), (4) |
登録年 | 1982年 |
アルジェリア北東部、高原に位置するティムガットは、1世紀にローマ皇帝トラヤヌス帝によって築かれた植民都市。「アフリカのポンペイ」と呼ばれるほどに保存状態がよく、碁盤目状の区画に、東西南北に貫く基幹道路という典型的なローマの都市計画によって造られたものでした。
ここでは、ティムガッドがなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ティムガッドについて詳しくなること間違いなし!
ティムガッドとは?
首都アルジェから南東へ約480km、オーレス山の北側に広がる高原に位置するのがティムガッド。ここには1世紀に当時のローマ皇帝トラヤヌス帝によって築かれた軍事植民地だった場所。もともとは退役軍人たちが住んだ街で、周辺に住むベルベル人を牽制するために建設された砦のような役割もありました。
ティムガッドは、ローマの典型的な都市計画のもとに築かれたもので、碁盤目状の区画に東西南北に貫く基幹道路が配置されていましたが、2世紀には都市の郊外にまで街区が拡大しています。そして、郊外には議事堂や神殿、市場、浴場が建てられ、都市は黄金期を迎えました。この時代に建造された「トラヤヌスの凱旋門」は高さ13mで、ティムガッドのシンボル的存在。市内には14もの浴場があり、公共施設が多く、市民の暮らしは安定していたと考えられています。
キリスト教が布教したころは、司教区となりましたが、5世紀にヴァンダル人(現在のドイツやポーランド付近に住んでいた民族)により破壊され、その後、ビザンツ帝国の支配やアラブの侵入などもあり、8世紀以降は廃墟となりました。そして、砂に埋もれてしまったため、保存状態はかなり良く、1881年に発見されると、「アフリカのポンペイ」と呼ばれるほどに高い評価を受けることになるのです。
ティムガッドはどんな理由で世界遺産に登録されているの?
ティムガッドが評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
もともとはローマ帝国の軍事植民地だったティムガットは、ローマの中央政府から持ち込まれた伝統や建築技術などが持ち込まれていたという点。
登録基準(iii)
ティムガッドはローマの都市計画によって作られた典型的な都市であり、今でもその存在が確認できるということ。
登録基準(iv)
ティムガッドは300年以上も栄え、公共施設や宗教施設など、さまざまな建築物の発展の過程が見られるという点。
世界遺産マニアの結論と感想
ティムガッドはローマの植民都市の典型的な例である一方、街が拡大するに連れて、公共施設や宗教施設も増えていき、さまざまな建築物の発展の過程が見られるという点で評価されています。
ちなみに、なぜベルベル人が脅威だったのかというと、現在のアルジェリア北部には、ヌミディアという遊牧民の国があって、ローマは領土を広げるために常に戦争を行っていたのです。ここは穀倉地帯であって、ローマ帝国の経済基盤とも言える場所でもありました。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。