登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (3), (4) |
登録年 | 1982年 |
アルジェリア北部の海岸沿いにあるティパサの遺跡は、紀元前6世紀にフェニキア人によって建造されたローマ時代の植民都市。ここは3〜4世紀にはキリスト教徒たちの居住地となり、バジリカはアフリカでも最大規模だったとされています。
ここではティパサがなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ティパサについて詳しくなること間違いなし!
ティパサとは?
ティパサは、首都アルジェから西へ約70kmの位置にある遺跡群で、2つの考古学公園と死者記念塔で構成されている遺産。ここは紀元前6世紀に地中海に多くの植民都市を築いたフェニキア人によって作られた都市ではありますが、先住民の墳墓なども残っています。紀元前1世紀に築かれたマウレタニア霊廟と呼ばれる円形の墳墓は、エジプトやギリシャなどとの関連性が見られるもの。
その後、ローマの植民都市として栄え、3〜4世紀になるとキリスト教徒の住民が増え始めたことが、建物によって分かっています。その頃に建造されたバジリカや大聖堂の跡地が残っていて、特にバジリカは当時の北アフリカでも最大規模の建築物であったもの。しかし、6世紀になるとビザンツ帝国によって征服され、徐々に衰退し、7世紀には無人の街となってしまいました。
危機遺産(危機にさらされている世界遺産)
ティパサの遺跡は、考古学公園として保護されていたものの、遺跡の管理体制が整わず、2002年に危機遺産に。その後、保護計画や法が整えられると2006年には外されました。
ティパサはどんな理由で世界遺産に登録されているの?
ティパサが評価されたのが、以下の点。
登録基準(iii)
ティパサは現在のチュニジアやアルジェリアを中心としたポエニの文明やローマの文明の存在を示すものであるということ。
登録基準(iv)
ティパサの考古学遺跡は、先住民の文明、紀元前6世紀〜紀元6世紀までポエニからローマ時代の植民地化に至るまでの建築物の発展が見られるという点。
世界遺産マニアの結論と感想
ティパサは古くからの定住地であり、かつてここで繁栄したポエニ文明とローマ帝国の足跡が多く残っていて、街の発展の様子が分かるという点で評価されています。
ちなみに「マウレタニア霊廟」は、エジプトのクレオパトラ7世の娘であった、クレオパトラ・セレネ2世の墳墓とされた場所。彼女はクレオパトラ7世が亡くなった後、ローマで養育され、この地に嫁入りしたとされています。しかし、霊廟は破壊されてしまったため、彼女の遺体は今でも行方不明のまま。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。