北朝鮮の世界遺産「開城の歴史的建造物群と遺跡群」とは?世界遺産マニアが解説

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登録区分文化遺産
登録基準(2), (3)
登録年2013年

北朝鮮南部に位置する開城特別市は、10世紀から14世紀まで繁栄した国家・高麗の首都であった場所。市内には、宮殿や王陵、城壁、門など、12もの歴史的遺産が残り、風水をもとに配置されています。これらは東アジアの社会における仏教から儒教への移行が見られ、同時に高麗による文化や政治、さまざまな宗教の価値観が合わさっているのが特徴。

ここでは開城の歴史的建造物群と遺跡群がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、開城について詳しくなること間違いなし!

目次

開城の歴史的建造物群と遺跡群とは?

開城の歴史的建造物群と遺跡群
画像素材:shutterstock

開城特別市は、山々に囲まれた盆地の中にある都市で、高麗(918〜1259年、1356〜1392年)の首都が置かれていました。各建造物は、当時の高麗の政治、文化、哲学、宗教観が分かるというのが特徴で、風水の配置により、王宮や墳墓、城壁、門などが建造されたもの。もともと高麗は仏教が盛んに信仰されていきますが、やがて中国から儒教が伝わり、建造物にもその過程が見られます。

「開城城壁」は、高麗以前に建造された9世紀の内城が含まれていて、外城は11世紀に都市を囲むように築かれ、風水の配置として山々も結んでいます。「満月台」と「開城瞻星台」は天文台で、天体観測だけでなく、気象を予想するための設備も残存。役人を育てるための施設「高麗成均館」や儒学の教育機関である「崧陽書院」も登録されています。そして、王朝の創設者である王権の墳墓も登録されていますが、これは再建されたもの。

開城の歴史的建造物群と遺跡群はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

開城の歴史的建造物群と遺跡群
画像素材:shutterstock

開城が評価されたのが、以下の点。

登録基準(ii)
開城の建造物や遺跡は、高麗以前に朝鮮半島に存在したさまざまな国家の文化や宗教、政治的な価値観が合わさり、その後5世紀に渡って近隣の国家との交流を示すという点。

登録基準(iii)
開城の建造物と遺跡は、東アジアの社会において仏教が儒教へと移行した時代ということを示し、特に高麗の社会においては顕著に見られるということ。

世界遺産マニアの結論と感想

開城は高麗の王都であっただけに、それ以前の地方王朝や近隣の国家における文化や宗教の影響を受けて王朝が発展し、さらに建築物や遺跡は、東アジアにおいて仏教から儒教が普及していく過程が見られるという点で評価されています。

ちなみに、開城というと、南北融和の施策として、2カ国合同で築かれた「開城工業地区」があることで有名ですね。しかし、度重なるミサイル実験によって2016年から韓国は撤退しているため、北朝鮮側ではそのまま利用されています。なかなか上手く行かないのです…。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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