デンマークの世界遺産「ヴァイキング時代の円形要塞群」とは?世界遺産マニアが解説

  • URLをコピーしました!
登録区分文化遺産
登録基準(3),(4)
登録年2018年

デンマーク各地には、ヴァイキングが支配していた時代(800〜1050年頃)に建造された幾何学的な円形要塞跡が点在しています。現在は遺跡となっていて、この要塞の用途は詳しくわからないものの、ヴァイキングたちの建築技術や科学知識などがよく分かるという点で評価されています。

ここではヴァイキング時代の円形要塞群が、なぜ世界遺産なのか?世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、円形要塞群について詳しくなること間違いなし!

目次

ヴァイキング時代の円形要塞群とは?

トレレボー/ヴァイキング時代の円形要塞群
画像素材:shutterstock

デンマーク国内には、ヴァイキングの王ハーラル1世青歯王(958年?〜985年?)が支配していた時代に建造された「円形要塞」が点在しています。これは円形の城壁に囲まれたもので、十字を刻むように2つの道路と4つの門が対角に位置する位置するように建造されていました。

円形要塞はスウェーデンにも一部存在しますが、デンマークのものは、ユトランド半島北部フィルカット、中部のアッガースボルグ、フュン島のノンネバッケン、シェラン島のトレレボーとボーグリングが登録。1930年代から発掘が始められたために、1000年近くも放棄されていたもの。

フィルカット/ヴァイキング時代の円形要塞群
画像素材:shutterstock

直径は要塞ごとに異なり、最小のボーグリングは幅120mに対し、アッガースボルグは幅240mもありました。測定によると実際に利用されていたのは975年頃から短くて5年程度。20年以上も継続的に利用された施設はないとされています。

要塞の目的はさまざまな説があり、まだはっきりとしたことは断言できませんが、発掘の結果、ここは住居もあれば倉庫もあったりと、戦士だけでなく、さまざまな職業の人々が暮らし、女性や子供も暮らしていたということも分かっています。そして、ヴァイキング独自の宗教と思われる墳墓なども見つかっていて、ハーラル1世は960年頃にキリスト教に改宗していますが、彼の宗教的寛容の政治スタイルも分かるというのも特徴。要塞内には農地はなく、資源などは周囲の集落に依存していたとも考えられています。

ヴァイキング時代の円形要塞群はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

フィルカット/ヴァイキング時代の円形要塞群
画像素材:shutterstock

円形要塞群が評価されたのが、以下の点。

登録基準(iii)
ヴァイキング時代の円形要塞群は、陸路と海路の近辺に配置され、それぞれが自然の地形を利用したもの。これらはイェリング朝の中央集権のシンボルであり、10世紀後半にデンマーク王国による社会的変革の証拠でもあったということ。

登録基準(iv)
ヴァイキング時代の円形要塞群は、ヴァイキングたちの建築技術、科学、軍事力などの革新的な例を示し、これらはヴァイキングの王による中央集権的権力が見られ、要塞の設計、素材、構造など、北欧における人類の歴史の重要な段階を示すものであるという点。

世界遺産マニアの結論と感想

円形要塞群は、さまざまな説がありますが、当時の建築技術や科学知識、彼らの軍事力などがよく分かり、北欧の歴史においては重要な段階を示すものであるという点で評価されています。

ちなみに、ハーラル1世が属していたゴーム家はデンマーク王国としては最初の王家で、現在のグリュックスブルク家のルーツもここに由来します。そして、現在のイギリス国王のチャールズ3世の父エディンバラ公フィリップは、グリュックスブルク家のアンドレアス王子の子供なので、チャールズ3世もハーラル1世の血を受け継いでいるのです。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

この記事が気に入ったら
いいね または フォローしてね!

  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

目次