モロッコの世界遺産「近代的首都と歴史的都市をあわせもつ遺産ラバト」とは?世界遺産マニアが解説

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登録区分文化遺産
登録基準(2), (4)
登録年2012年

モロッコの首都ラバトは、フランスの保護領だった時代に建造された都市です。ラバトはアフリカでも20世紀に設立された最大規模のモダニズム都市ではありますが、その中にある旧市街はムワッヒド朝時代(1130〜1269年)の首都だったこともあり、城壁や城門、モスクなども残存。ここは西洋のモダニズムとイスラム文化が融合した都市でもあります。

ここでは近代的首都と歴史的都市をあわせもつ遺産ラバトがなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ラバトについて詳しくなること間違いなし!

目次

近代的首都と歴史的都市をあわせもつ遺産ラバトとは?モロッコ王国の首都!

近代的首都と歴史的都市をあわせもつ遺産ラバト
画像素材:shutterstock

ラパドはモロッコ王国の首都であり、モロッコ北西部に位置する都市。人口は65万人と世界的に知名度は低いものの、20世紀のフランス保護領時代に設立されたモダニズム都市でもあります。

街としての歴史は古く、紀元前3世紀に建造ネクロポリスが残っていて、ローマ帝国時代は帝国の南西端であるマウレタニア・ティンギタナ属州に組み込まれ、サラ・コロニアと呼ばれていました。

12世紀のムワッヒド朝時代になると、初代アミール(君主)であり、ベルベル系のアブドゥルムウミンは、ここに存在していたリバート(要塞と宗教施設を備えた建造物)を城塞に改築し「ラバト」と名付けます。その後、3代のヤアクーブ・マンスーは、ここを首都とし、現在の街の北部にウダヤのカスバ(城塞)を建造。そして、旧市街には世界最大級のモスクを建造しようとしたものの、彼の死によって頓挫しました。現在は中途半端に建造された「ハサンの塔」だけが残っています。

ムハンマド5世廟/近代的首都と歴史的都市をあわせもつ遺産ラバト
画像素材:shutterstock

ムワッヒド時代の城塞は現在でも残っていて、これらは現存する唯一の首都だった時代の遺構でもあります。王朝が滅んだ後は大幅に衰退し、海賊が住んでいた時代があったほど。1912年にフランスの保護領となると、当時の首都であったフェズから遷都され、1913年からフランスの都市計画家によってアフリカでも最大級の近代都市プロジェクトが計画されました。ここは歴史的な建造物や伝統的な住宅が残されつつも、公共施設や緑地などが配されたモダニズムの都市へと変貌。

特に「ハサンの塔」の先には、モロッコの国王である独立の英雄であるムハンマド5世の霊廟「ムハンマド5世廟」が1971年に建造され、新旧入り交じった景観が続きます。

近代的首都と歴史的都市をあわせもつ遺産ラバトはどんな理由で世界遺産に登録されているの?

ハサンの塔/近代的首都と歴史的都市をあわせもつ遺産ラバト
画像素材:shutterstock

ラバトが評価されたのが、以下の点。

登録基準(ii)
近代都市であるラバトは、イスラム関連の遺産を残しつつ、20世紀の西洋のモダニズム都市計画が融合し、この地方の建築物や装飾の影響を受けつつ設計された都市であるということ。

登録基準(iv)
ラバトは、過去の文化的価値を組み込まれ、それは装飾や建築物、景観などと統合し、現在と過去の融合が見られる、20世紀の近代的な都市計画の傑出したものであるという点。

世界遺産マニアの結論と感想

ラバトは、20世紀の西洋のモダニズム建築で設計されたものではあるものの、ムワッヒド朝時代の建築物や記念物を見事に組み込まれた都市であったという点で評価されています。

ちなみに、ハサンの塔の「ハサン」は、ヤアクーブ・マンスーの命によって建造されたものですが、なぜハサンという名前が付けられたかは今でも不明。既に13世紀にはその名が付けられていますが、歴史的価値があるものの、「ハサン」という名前だけは全く手がかりがないという謎。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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