ボスニア・ヘルツェゴヴィナの世界遺産「ヴィシェグラードのソコルル・メフメト・パシャ橋」とは?世界遺産マニアが解説

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登録区分文化遺産
登録基準(2), (4)
登録年2007年

セルビアの国境近く、ドリナ川にかけられたメフメド・パシャ・ソコロビッチ橋は、16世紀末にオスマン帝国の宰相メフメド・パシャの名に由来する橋。これはオスマン帝国の大建築家ミマール・スィナンによって建設され、11のアーチを持つ、179.5mの華麗な橋は、ミマール・スィナンの建築の中でも傑作とされる建築物です。

ここでは、ヴィシェグラードのソコルル・メフメト・パシャ橋がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ソコルル・メフメト・パシャ橋について詳しくなること間違なし!

目次

ヴィシェグラードのソコルル・メフメト・パシャ橋とは?

画像素材:shutterstock

ヴィシェグラードは、ボスニア・ヘルツェゴビナ東部、スルプスカ共和国にある小さな町です。人々が住み始めたのが15世紀。オスマン帝国によって支配を受けると、16世紀末に街を流れるドリナ川に宮廷建築家であったミマール・スィナンによって橋が造られました。橋の名は、当時の宰相ソコルル・メフメト・パシャの名前に由来します。

橋はオスマン帝国のシンボルであり、当時の土木技術の結晶でもありました。11〜15mの間隔で11のアーチがあり、川の左岸に4つのアーチがある傾斜も併設。その後、何度か改修され、第1次世界大戦では3つのアーチ、第2次世界大戦では5つのアーチが破壊されましたが、この橋は破壊される度に修復されてきました。

ちなみに、ノーベル文学賞を受賞した小説『ドリナの橋』はソコルル・メフメト・パシャ橋をモデルにしたもの。橋を中心に展開するストーリーで、作者自身がヴィシェグラードで幼少期を過ごしたことから小説を書き上げました。街はいつの時代もヴィシェグラードのシンボルだったのです。

ヴィシェグラードのソコルル・メフメト・パシャ橋はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

画像素材:shutterstock

ソコルル・メフメト・パシャ橋が評価されたのが、以下の点。

登録基準(ii)
古くから重要な地であったヴィシェグラードに築かれた橋は、バルカン半島、オスマン帝国、地中海で発達した技術や、キリスト教とイスラム教の交流が見られるという点。

登録基準(iv)
橋はオスマン帝国の辺境に造られた現在でも残る建築物であり、建築史の重要な段階を示しているということ。

世界遺産マニアの結論と感想

ボスニア・ヘルツェゴヴィナはイスラム教、ローマ・カトリック、セルビア正教の3つの宗教が入り混じる国だけあって、さまざまな文化が入り交じる国。ヴィシェグラードの橋はまさにそのシンボル的な存在で、ヨーロッパの地にあってトルコ風の建築物が建っているというのもなかなか不思議な風景ですね。さらに何度か修復されているものの、現在でも綺麗に残るこの橋の設計は見事。

ちなみに、ボスニア・ヘルツェゴヴィナで初めて登録された世界遺産であるスタリ・モストと同じく、橋の世界遺産であり、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ単独の世界遺産は橋だけという偶然…。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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