アフメト1世とはどんな人物?世界遺産マニアが解説

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アフメト1世(1590〜1617年)はオスマン帝国の第14代スルタンであり、短い統治期間ながらも帝国内の制度を改革し、「スルタンアフメト・モスク(ブルーモスク)」を築いた人物。アフメト1世とはどういった人物だったのでしょうか?

今回はアフメト1世がどんな人物だったかを世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、アフメト1世について具体的に理解できること間違いなし!

目次

アフメト1世とはどんな人物?

アフメト1世の肖像画
画像素材:Wikimedia Commons

アフメト1世は1590年に首都イスタンブールで誕生しました。父は第13代のメフメト3世ですが、1603年に死去。彼は兄弟の殺害を経ずに即位しました。当時のオスマン帝国では、新たに即位したスルタンが政敵となる可能性のある兄弟を殺害する「兄弟殺しの慣習」が存在しましたが、アフメト1世はこれを実行せず、新しい統治方針を打ち出しました。

即位後はサファヴィー朝(現在のイランを中心とした国家)との戦争により領土が縮小し、オーストリアのハプスブルク家との戦争についても、1606年にジトヴァ・トロク条約を結び、停戦するも軍事的優位は低下。一方、彼は母の影響もあり、熱心なイスラム教徒であったため、イスタンブールで最も有名な「スルタンアフメト・モスク(ブルーモスク)」を建設したことでも知られます。アフメト1世は1617に27歳の若さで死去。彼の死後、弟のムスタファ1世が即位しました。

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スルタンアフメト・モスク(ブルー・モスク)/トルコ

スルタンアフメト・モスク(ブルー・モスク)
画像素材:shutterstock

イスタンブール旧市街にあるスルタンアフメト広場の南側に位置するモスク。ここは直径27.5mの大きなドームを持ち、高さ64mの華麗なミナレットが6本も並ぶことから「世界で最も美しいモスク」とも呼ばれます。

外観は全く青くないのですが、内装にはイズニック製の青いタイルを数万枚使用したことから「ブルー・モスク」と呼ばれるようになり、こちらの名前のほうが広く知られています。ステンドグラスによる光が広大な空間に差し込む内観は幻想的。

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世界遺産マニアの結論と感想

アフメト1世は、戦争では苦戦しましたが「兄弟殺し」の慣習を終わらせたという点では評価されます。とはいえ、彼の治世は短いものの、イスランブール旧市街のスルタンアフメト・モスクのある「スルタンアフメト」という地名が残ったように、文化面での功績が大きいスルタンであるのかもしれません。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1200以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定マイスター認定済。

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