ダレイオス3世とはどんな人物?アレクサンドロス大王を含めて世界遺産マニアが解説

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ダレイオス3世(紀元前380年頃〜紀元前330年)はアケメネス朝ペルシア(紀元前550年〜紀元前330年)の王であるものの、東方大遠征で有名なアレクサンドロス大王に破れ、大帝国を崩壊させてしまいました。そんなダレイオス3世とはどういった人物だったのでしょうか?

今回はダレイオス3世がどんな人物だったかを世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ダレイオス3世について具体的に理解できること間違いなし!

目次

ダレイオス3世とはどんな人物?

ダレイオス3世のモザイク画
画像素材:Wikimedia Commons

アケメネス朝は、かつて存在した現在のイランを中心とした巨大な帝国で、古代オリエントを統一した超大国でした。ダレイオス3世は、もともと王の息子であったというわけではなく、本名は「アルタシャタ」と呼ばれていて、彼の曽祖父が王のアルタクセルクセス2世であったことから王族という身分ではあり、当時の宦官(かんがん)であったパゴアスたちが宮廷を牛耳るなか、王位継承者が次々と殺害され、直系であった前王のアルセスも殺害されたため、彼の順番が回ってきたというのが、即位の理由。

そして、彼は伝統的なアケメネス朝の王の名前である「ダレイオス(良きものを保持するという意味)」を名乗り、パゴアスを毒殺してその支配を確実にしたとされています。

アレクサンドロス大王との戦い、敗北…そして、死

イッソスの戦いのモザイク画
画像素材:Wikimedia Commons

しかし、帝国はすでに衰退期に入っており、西方のマケドニアから国境を脅かされていて、いよいよ紀元前334年にはマケドニアの王アレクサンドロス大王(紀元前356年〜紀元前323年)によって遠征が開始されました。現在のトルコにあるイッソスで両軍は対決し、アレクサンドロス率いる軍に対し、ダレイオス三世は大軍を率いるも敗北。この戦いで彼の家族(母、妻、娘)が捕らえられましたが、アレクサンドロスは彼らを丁重に扱いました。

それから2年後、現在のイラク北部で行われた「ガウガメラの戦い(紀元前331年)」で、ダレイオス3世は帝国全土から兵を集め、再びアレクサンドロスと対決しました。しかし、アレクサンドロスの戦術とマケドニア軍の優れた編成の前に敗北。その後、当方に逃走するも途中で部下に殺害され、これがペルシア帝国の実質的な終焉となりました。

ダレイオス3世にまつわる世界遺産はこちら!

ポンペイ/イタリア

アレクサンドロス大王のモザイク画
画像素材:Wikimedia Commons

ポンペイ遺跡はイタリア南部の都市ナポリの近郊にある都市遺跡。紀元前89年以降はローマの傘下に入ったものの、やがて地震が多くなり、ついに79年8月にヴェスヴィオ山の噴火が発生。そして、断続的に火砕流が続き、ポンペイだけでなく、周囲の街も住民も…すべてをそのまま包み込んでしまい、都市全体が火山灰で覆われてしまいました。

ポンペイは噴火によって壊滅したとはいえ、火山灰で埋められていたために、当時の壁画は保存状態は良く、ローマ時代の絵画を知る上では非常に貴重なもの。有名なものとしては第6地区の「ファウノの家」で、この家で発見されたアレクサンドロス大王のモザイク画は世界史の教科書でもおなじみ。そして、このモザイク画にはダレイオス3世が描かれていて、その対比の構図が戦いの激しさをこの時代に伝えていたのでしょう。

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世界遺産マニアの結論と感想

ダレイオス3世は、大帝国を立て直そうと奮闘したものの、結果的には戦争に連敗してしまったために、優れた指導者ではなく、王としての資質も高いとは言えません。しかし、相手がアレクサンドロス大王という軍事の天才というだけあって、そういった意味では相手が悪かった…とも言えますね。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1200以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定マイスター認定済。

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