登録区分 | 文化遺産 |
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登録基準 | (3), (4), (5) |
登録年 | 1997年 |
ポンペイ遺跡は「ポンペイ、ヘルクラネウム及びトッレ・アンヌンツィアータの遺跡地域」の構成遺産の一つ。79年8月にナポリ近郊のヴェスヴィオ山の噴火によってそのまま埋もれてしまった都市として有名で、その遺構からは当時の暮らしが分かるという点で貴重なもの。ところで、ポンペイ遺跡はなぜ世界遺産なのでしょうか?
ここではポンペイ遺跡がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ポンペイ遺跡について詳しくなること間違なし!
ポンペイ遺跡とは?噴火はいつ発生した?
ポンペイはイタリアのどこにある?噴火の被害は火砕流だった?
ポンペイ遺跡はイタリア南部の都市ナポリの近郊にある都市遺跡。紀元前6〜7世紀に建設された都市であり、近くにある標高1281mのヴェスヴィオ山は何度か噴火があったものの、麓ではぶどうの栽培などが行われ、この地はワイン醸造と羊毛加工で栄えました。
紀元前89年以降はローマの傘下に入ったものの、やがて地震が多くなり、ついに79年8月にヴェスヴィオ山の噴火が発生。そして、断続的に火砕流が続き、ポンペイだけでなく、周囲の街も住民も…すべてをそのまま包み込んでしまい、都市全体が火山灰で覆われてしまいました。
現在のポンペイ遺跡はまるでタイムカプセル
16世紀になると建物の一部が発見され、18世紀には発掘調査が始まりました。19世紀には、モザイクが発掘され、火山灰土の空洞に石膏を流し込むという手法で人々の最期が分かるようになりました。
ポンペイはタイムカプセルのように当時の建築物が見られ、神殿、市庁舎、劇場、娼館、浴場などの遺構が点在。町は舗装した道路に邸宅が並ぶという計画都市ということが分かり、それぞれの家にはフレスコ画やモザイクが残っていて、人々の肖像画なども貴重な資料となっています。
ポンペイから逃げ延びた人はいた?
ヴェスヴィオ山の噴火が発生した際に、当時のローマ皇帝ティトゥス(39〜81年)は、役人をポンペイへと派遣するものの、既に都市は壊滅してしまいました。噴火については発生してから約12時間後に火砕流が起きたとされています。よって、文献によって異なりますが、当時の人口は6000〜3万人。実はポンペイ市民の多くは噴火が開始したタイミングで逃げたとされていて、その後、逃げ遅れた2000程度の人々が火砕流に犠牲になったとされています。
それでは、生き延びたポンペイ市民はどこへ行ったか?これについては確証はありませんが、各地の墓標などに「ポンペイ」に関連する記述があったりするので、多くの人々はこの地を捨てて移住したと考えられています。
亡くなった人々の遺体はどこにある?抱き合う2人の石膏とは?
19世紀の発掘により、火山灰の中に埋まった人々について、一部残っていることもありますが、ほとんどが遺体だけが腐敗して消えてしまったため、人型の空洞だけがいくつか存在していたことが分かりました。それもあり、考古学者たちは石膏を流して市民の最期の瞬間を再現して研究。最期の瞬間だけあって、抱き合って死亡している「抱き合う2人」の石膏など、印象的な姿の空洞があることから有名です。
ポンペイの壁画は有名?
ポンペイは噴火によって壊滅したとはいえ、火山灰で埋められていたために、当時の壁画は保存状態は良く、ローマ時代の絵画を知る上では非常に貴重なもの。それぞれは年代によって作風も変化していて、食べ物や人物だけでなく、神話や風俗までテーマもバラエティに富んでいます。
有名なものとしては第6地区の「ファウノの家」で、この家で発見されたアレクサンドロス大王のモザイク画は世界史の教科書でもおなじみ。第7地区には「テレンティウス・ネオの家」があり、ここではポンペイで最も有名な肖像画「パン屋の夫婦」が発見されています。
『ジョジョの奇妙な冒険』Part5 黄金の風でもおなじみ
『ジョジョの奇妙な冒険』といえば、世界を舞台にさまざまな敵と戦うというアドベンチャー漫画。その中でもイタリアがメインに登場するのは、Part5 黄金の風。主人公と同じチームのアバッキオがこの地を訪れた際に「ポンペイか ガキのころ遠足で来たきりだな…」と言ったように、ナポリ郊外に位置するだけに市民にとっては身近な遺跡でもあります。
戦いの舞台となったものは、主にフォルム(公共広場)。ここはポンペイの中心部でもあります。ちなみにバトルが繰り広げられた「悲劇詩人の家」はアクリル板が置かれているので、現実は入ることはできません。
ポンペイ遺跡はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
ポンペイ遺跡が評価されたのが、以下の点。
登録基準(iii)
ポンペイとヘルクラネウムは、火山灰という自然現象によって見事に保存された世界でも例がない都市であり、トッレ・アンヌンツィアータにはローマ時代の保存状態の良い壁画があるという点。
登録基準(iv)
遺跡に残る建築物や装飾、日常道具など、紀元前1世紀から紀元1世紀までのローマ時代の生活の様子が分かるということ。
登録基準(v)
これらの遺跡は、ローマの都市と別荘の優れた例であり、ローマ時代の生活の様子が絵画から分かるという点。
世界遺産マニアの結論と感想
ポンペイは、火山灰で埋もれた結果、優れた保存状態を誇る都市で、絵画などからは当時のローマ市民の暮らしが分かるという点で評価されています。
ちなみに、噴火日は79年の8月24日とされているものの、遺跡を調査すると、農作物や衣類からは季節が夏であったとは考えづらく、2018年には家屋に「11月」とはっきり書かれたものも発見されていて、どうやら噴火は秋ころだったのではないか?というのが現在の説。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。