チンギス・ハン(1162年頃〜1227年)は、モンゴル帝国の創始者であり、ユーラシア大陸各地を征服すると、彼の子孫たちはモンゴル帝国をさらに拡大させ、多くの王朝を築きました。現在もチンギス・ハンの子孫たちは存在しているのでしょうか?
今回はチンギス・ハンの子孫を世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、チンギス・ハンの子孫について具体的に理解できること間違いなし!
チンギス・ハンの後継者は正式には4名のみ

モンゴル帝国の開祖であるチンギス・ハンには多くの妻と側室がいましたが、公式に認められた息子は4人だけでした。特に正妻であるボルテ皇后の生んだ4人の息子だけが、帝国の後継者となったのです。モンゴル帝国を引き継いだのは三男のオゴデイですが、彼らとその子孫は帝国の分裂時にそれぞれ領土を得て、王族となっていったために、実質的に中央アジアや中国はチンギス・ハンの子孫が支配していったのです。
■元朝/現在の中国・朝鮮半島
→開祖:フビライ・ハン(四男トルイの子)
■キプチャク・ハン国(ジョチ・ウルス)/現在の東ヨーロッパ・中央アジア西部
→開祖:バトゥ(長男ジョチの子)
■チャガタイ・ハン国/現在の中央アジア
→開祖:次男チャガタイ
■イルハン朝 /現在のイラン
→開祖:フレグ(四男トルイの子)
それぞれの王朝は後世になると滅亡するものの、ハーン(カアン)の位はチンギス・ハンの子孫でないと受け継ぐことができず、それは後世でも遊牧民族のリーダーとしての称号として利用されていきました。
チンギス・ハンの子孫は合計で約1600万人もいる?



2004年に発表されたオックスフォード大学の遺伝学研究によると、モンゴルから中国北部にかけて約1600万人の人々が、チンギス・ハンのDNAを受け継いでいる可能性があるという研究結果を発表しました。
モンゴル系の男性の間で、特定のY染色体ハプログループが高頻度で見られ、この遺伝子型は、モンゴル帝国の支配地域(中央アジアや中東なども含めて)に広く分布していると考えられます。 そして、このルーツは約1000年前の1人の男性、つまり、チンギス・ハンに由来する可能性が高いという結果に。
しかし、この説は批判もあり、さすがに特定の人物一人とするのは難しいという意見もあります。とはいえ、帝国は瞬く間に広がり、チンギス・ハンは多くの女性を側室にし、その子孫たちを各地の王族としたことから、支配地域には婚姻によって多くの子孫がいたとは考えられますね。
世界遺産マニアの結論と感想
とはいえ、この話も眉唾ものとは言い切れず、インドを支配したムガル帝国(1526〜1539年、1555〜1858年)の開祖バーブルの母方の祖父はチンギス・カンの次男チャガタイの後裔にあたることから、彼の血統はユーラシア大陸の支配層には多く分布していて、それが近代までは各地の支配者階級にいたというのは事実ではあります(とはいえ、歴史の長い王家の祖先はほとんどが偉人の子孫だったりしますが)。そうなると、1600万人は言い過ぎかもしれませんが、現代でも確実に子孫が多い家系ではあるでしょう。
科学的には証明されてはいませんが、モンゴル国ではチンギス・ハンは英雄であり、血統を誇りに思う人が多く、「チンギス・ハンの末裔」とされる家系も存在しています。そう思うと大事なのは血統ではなく、遊牧民としての「誇り高き精神」を引き継ぐことなのかもしれませんね。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。